2016-08-01から1ヶ月間の記事一覧
今日も戦時中の配給について紹介を続けます。 当時の社町社区(現加東市社)の配給関係書類の中にリンゴの配給に関する通知がありました。3戸に1個の割合で配給となっており、食糧事情の厳しさがわかります。 昭和十八年五月二十四日 社 町 役 場 社区長殿…
再び戦時中の配給について紹介します。 昭和18年(1943)、長引く戦争で物資不足でさまざまな物資が配給になっていました。当時の社町社区(現加東市社)の配給関係書類綴の中に、足袋の購入補助券の配当に関する書類が綴じられています。 配当数を見…
28日(日)、ちょうど東の空に日が昇る頃に歩きはじめ、市街を抜けて明治館の広場に着いたには、朝日の濃い光が忠魂碑を照らしていました。 久しぶりの朝のウォーキングです。忠魂碑の脇の英霊尊名碑には、日露戦争で戦没された郷土出身兵の名前も刻まれて…
7日ぶりの投稿になってしまいました。 27日(土)、県立嬉野台生涯教育センターで「第37回未来をひらく少年会議」が開催され、北播磨、東播磨の中学、高校の代表ら約120人が参加して、ネット利用のルールづくりをテーマに講演を聴き、その後グループ…
昭和18年(1943)6月、家庭用海苔の配当が行われています。 当時の社町社区(現加東市社)の配給関係書類綴に綴じられている通知によれば、海苔は、人口割、一人一枚強の割合で各地区に配当されています。価格は10枚で39銭。配給所で一日限りの配…
東の空に満月が光り、涼しい風が吹き渡る18日(木)の夜、加東市山国の観音堂の前の広場で初盆供養の伝統の盆踊り大会が行われました。 会場では、地区役員さんをはじめ、老人会、女性会、子供会、消防団など地区の皆さんが総出で、駐車場の案内、司会進行…
戦時中の配給について紹介していますが、昭和18年(1943)の5月、石鹸の定期的配給も困難になりつつあったことが、当時の社町(現加東市社)の配給関係文書綴の中に綴じられた通知文からわかります。 戦時中、物資不足が続くなか、石鹸も例外ではあり…
昭和18年(1943)の年末、正月用の餅をつくるために必要な餅取り粉の配当の通知が当時の地区文書に綴じられていました。 糯(もち)取粉の字が使われていますが、戦中で物資が不足するなか、正月を迎える準備に不可欠の餅つきに必要な餅取り粉も配給だ…
昭和18年(1943)秋、社町役場からさまざまな物資の購入券の配当に関する通知が各区長に対して出されています。 10月7日付の通知には、家庭用海苔、食酢、綿縫糸、足袋など10種類の物資購入券配当に関する通知が一度に出されていました。 その中…
今日も戦中の配給について紹介します。昭和18年(1943)、73年前の夏、物資や食糧が不足するなか、お菓子も配給となっていました。 キャラメル、ボーロなどのお菓子が配給となり、年齢や戸数を基礎にして配給されていました。当時の地区文書綴にある…
今から73年前の昭和18年(1943)の年末、わが国は大東亜戦争の2周年、それ以前の支那事変から続く戦争の下、国民生活は物資不足が続いていました。 このブログでは地元社町(現加東市社)の物資配給関係書類に綴じられた配給通知などから当時の生活…
12日(金)の朝、ラジオ体操が行われている地区集会所前の広場で子供達とラジオを聞きながら、体操が始まるのを待っていると、「バッタや」という子供の声が。 近づいてみると、たしかにバッタがいました。草と見分けがつかないような緑色の細長い体で、顔…
平成28年(2016)、大東亜戦争の終戦から71年目の夏。加東市社の明治館前の広場に建つ忠魂碑の掃除をしてきました。 去年は終戦70年の節目の年にあたり、この碑の前で遺族会社支部による慰霊祭が行われましたが、今年は静かな夏を迎えています。 …
写真の建物は朝の地区ラジオ体操の会場横の農会倉庫です。古くなって今は使用されていませんが、かつては、この倉庫の中の畳敷きの部屋で溝普請のあとの落ち着きをしたり、倉庫内には地区子供会の樽神輿を置かせてもらったりしていました。 当時のことを思い…
連日猛暑が続いています。お地蔵さんまで日除けのすだれを掛けてもらっていますが、庭もカラカラに乾いています。2本のナンキンハゼが日陰をつくってくれていますが、その枝には毎日、ガラ(アブラゼミ)がとまってジージーと鳴いては飛び回っています。 ふ…
加東市山国を通る県道神戸加東線の出水川から少し南のゆるやかな坂の脇にお地蔵さんが祀られています。 山国の集落を見守る北向き地蔵さんです。猛暑が続いていますが、その炎天下、このお地蔵さんに日除けのすだれが掛けられていました。 かさこ地蔵ならぬ…
6日(土)、日が暮れた頃、加東市光明寺地区のグラウンドでは地区の盆踊りが行われました。夕方から雨雲が通過し、西脇市方面の空には時々稲光が走りましたが、おかげで昼間の猛烈な暑さから一転天然クーラーの中にいるような涼しい風が吹いていました。 会…
昨日に続いて、昭和18年(1943)の社町社区(現加東市社)の配給関係通知綴りから、8月分の家庭酒(清酒)と身欠鰊(みがきにしん)の配給に関する通知を紹介します。 清酒も一級から三級、合成酒の別があったんですね。また、身欠鰊は鰊の干物です。…
昭和18年(1943)の5月、すでに多くの物資、食糧が配給となっていましたが、当時の配給に関する通知を綴じた社町社区(現加東市社)の文書綴の中に「鶏卵配給ニ関スル通知」が綴じられています。 次の通知に各部落毎の戸数、割当量などの一覧表が記載…
3日(水)夜、真夏恒例の加東市花火大会が東条湖で行われました。 この花火大会では、湖面を照らしながら湖上空高く大輪の花を開く8号玉の花火がよびものです。年々人出が増えて、今年はおよそ1万3千人が湖畔の広場を中心に湖周辺の施設などで花火を楽し…
昨日のブログで紹介した地区公民館前、元農会倉庫裏に置かれている石樋はその他の石やコンクリート製の土管などは、近所の農家の話によれば、池をつぶした時に持って帰ってきたものだということでした。 石樋の横にも穴があけられていることを発見しました。…
地区のラジオ体操が行われている集会所前には、古い農会の倉庫が建っており、その敷地に石が無造作に置かれています。 その中に、長さ1.5メートルほどの細長い直方体の石があり、よく見てみると、石造の樋、導水管でした。上下の合わせ目はぴったりあって…
31日(日)の朝、ラジオ体操をおえて玄関から家に入ろうと、アルミ製の門扉を開けたとき、何かが地面に落ちるのが目に入りました。 何だろうと思い、しゃがんでよく見ると、細長い胴体と手足の虫でした。ナナフシだと思い、カメラで撮りました。玄関の石タ…