ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2013-07-01から1ヶ月間の記事一覧

昭和18年-精肉の配給券

昭和18年(1945)には、さまざまな生活物資が配給になっていましたが、精肉も配給でした。その配給券が当時の区長の文書綴に綴じられていました。たて13センチ、よこ8センチの小さな紙です。この配給券には通知が添付されており、追加割当分だと書…

昭和18年-社の戸数と人口

昭和18年(1943)当時の社区(現加東市社)の配給物資関係の文書綴に戸数、人口に関する書類が綴じられていました。配給などの基準になるため、毎月異動の報告がなされていたようです。 昭和十八年七月十六日 社 町 役 場 社区長 殿 戸数及人口ニ関ス…

昭和18年-豆腐の配給

昭和18年(1943)の5月頃には豆腐も配給になりました。そのことについては、この歴史ブログですでに紹介してきたところですが、だいたい、月に一戸あたり1~2丁の割当がありました。配給された切符を持って指定の店に買いに行かなければ券は無効に…

昭和20年-食糧配給量の改訂

昭和20年(1945)の3月、主要食糧配給量の改訂に関する通知が出されています。これは当時の社町社区長の往復文書綴に綴じられていたものですが、一層厳しさを増す戦局下、食糧事情もきびしくなっていくなかで、配給量が改訂されたものです。年齢別に…

今年もハスの大輪が

3年前に加東市が平池公園のために育てているハスの一部が市民にも配られましたが、その折りに数種類のハスの根を貰って庭の鉢で育てています。貰ったその年は葉は出ましたが、花芽は出ず、翌年にやっと白い花が咲きました。今年は葉の勢い、大きさも増し、…

クマゼミ無事に羽化

22日(月)の朝6時頃、玄関脇の生垣のマサキの枝の先に羽化真っ最中のクマゼミを見つけました。 普通は夕方地中から出てきて木などをよじ登り、暗くなってから羽化を始めて、深夜にはまだ乾ききっていない羽を伸ばしてじっと朝を待つ、という感じですが、…

加東市の「播磨風土記」展

21日(日)、加東市下滝野にある加古川流域滝野歴史民俗資料館で開催されている「加東市内にみる風土記の世界」展に行ってきました。同資料館は、県立播磨中央公園に隣接し、加東市の滝野庁舎、文化会館、図書館、公民館などが集中しているゾーンにあり、…

昭和20年-菓子配給のために乳幼児数調査

昭和20年(1945)4月、社町から区長、組長宛てに乳幼児数の調査についての通知が当時の社町社区長の文書綴に綴じられています。 内容は、菓子配給の適正を期するために、1歳から7歳までの乳幼児の数を報告するようというものです。都市部での空襲が…

夏本番ーわが家の蝉の羽化ラッシュ

ここ3日ほど、わが家の生垣のマサキの枝を中心にクマゼミの羽化ラッシュが始まりました。午前中にはあの騒々しい鳴き声も聞こえてくるようになり、夏休みととともに夏本番がやってきたなと感じています。 昨日も夕方から玄関横の生垣をよく見てみると、地中…

上鴨川の道標-「左ほつけ」の文字が

国道372号の上鴨川の交差点を過ぎて大きくカーブしながら上っていくと、集落の端、旧道との交差点があり、その交差点の民家の前に、門柱のように一本の立派な道標が立っています。このブログでもすでに紹介しましたが、3面に「左京いせ」「右きよ水」「…

昭和20年-社町5月常会徹底事項③

昨日に続いて、昭和20年5月の社町常会徹底事項のつづきを掲載します。飛行機の潤滑油に使うために「ひま」の栽培を徹底しています。「ひまし油」がそうなんですね。その他に、嬉野や鶉野への出役に関する項目もありました。終戦の3ヶ月前のことでした。 …

昭和20年-社町5月常会徹底事項②

昨日に続いて、昭和20年(1945)5月の社町常会の徹底事項を紹介します。甘藷の増産、物資の戦力化についての事項が挙げられています。掲載写真は、綴りに綴じられていた金属回収についてのビラです。 昨日につづいて、 二、「甘藷ト麦ノ増産ニ」就テ …

昭和20年-社町5月常会徹底事項①

昭和20年(1945)の5月。社町常会では本土決戦、特攻など厳しい戦局にあって徹底事項が確認されています。 五月ノ常会徹底事項 一、「職域敢闘」ニ就テ 今コソ国運ヲ決スヘキ本土県千ノ秋ダ。前線特攻ノ成果ヲ持続シ戦勝ノ扉ヲ開ク力ハ今日此ノ一瞬職…

今夏我が家の初蝉

一昨日、我が家の庭で今年初めての蝉の抜け殻を発見しました。早朝に玄関に出て生垣にしているマサキの枝に触れたとき、蝉が勢いよく飛んでいきました。クマゼミです。そのあとを見ると抜け殻がありました。地上には穴が一つ開いています。ここから出て、マ…

昭和20年-社町3月常会徹底事項②

昨日に続き、敗戦の年昭和20年の3月の社町常会徹底事項を紹介します。 銀の供出は、金属類の供出で知っていましたが、古繊維等も特別に回収を行っていたとは知りませんでした。軍需工場の機械を拭く布の確保のためだったんですね。 昨日からつづいて 五、…

昭和20年-社町3月常会徹底事項①

昭和20年(1945)当時の社町社区長の往復文書綴に3月の常会徹底事項の記録が綴じられています。これまでにも昭和19年や20年の1月などの常会徹底事項を紹介してきましたが、この年の3月のものを紹介します。 当時のことを思い出して語る人は必ず…

昭和20年-戦災援護資金・物資の割当

昭和20年(1945)の社町社区長の往復文書に戦災援護資金と物資の買い上げに関する通知が綴じられています。社区(現在の加東市社)の割当分が記載されています。援護資金の拠出、物資供出の割当数は県、郡、町村の割当から区、部落への割当が決められ…

昭和20年-戦没者公葬について

昭和20年(1945)当時の社町社区長の往復文書綴に、戦没者の公葬に関する加東郡北部自治会の取り決めの文書が綴じられています。この歴史ブログでは、昭和12年の支那事変勃発以来の戦没者公葬に関する資料を紹介してきましたが、当初はきめ細かな実…

昭和20年-区長報酬

昭和20年(1945)の社町社区長の往復文書綴の中に「区長報酬」に関する通知が綴じられています。区長報酬は10円となっています。調べてみると、昭和20年当時、白米10キロが6円、清酒1升が7円余、公務員初任給が70円程度だったようです。但…

昭和20年-竹の供出

昭和20年(1945)3月、社町長から区長宛てに竹材の供出についての通知が発せられています。空襲が激しくなり、戦況は一段と厳しくなっているなか、軍需資材として竹の需要が激増し、その供出を求めたものです。当時の社区長の文書綴に綴じられていた…

昭和20年-軍需工場の防諜徹底に就いて②

昨日に続いて、昭和20年(1945)、軍需工場の防諜の徹底についての参考資料の中身を紹介します。敵が知りたい情報について具体例をあげながら、手紙や電話等で書いたり話してはならないことが例示されています。 当時の社町の4月の常会で確認された徹…

昭和20年-軍需工場の防諜の徹底に就て①

昨日のブログで紹介した昭和20年(1945)4月の常会徹底事項の一項目の軍需工場の防諜徹底について、別に一枚の参考資料が綴じられています。そこには具体的な情報漏洩の例が挙げられています。 参考資料 軍需工場の防諜の徹底に就て 軍需工場に勤務す…

昭和20年-4月常会徹底事項①

昭和20年(1945)の4月。「常会徹底事項」が当時の社町社区長の常会協議事項綴に綴じられています。米軍の空襲が激しくなる中、徹底事項の一番目に「軍需工場の防諜の徹底に就て」が掲げられています。 一 軍需工場の防諜の徹底に就て 最近敵は爆撃目…

昭和19年-神宮大麻の頒布に関する通知

昭和19年(1944)の年末、神宮大麻と暦の頒布に関して社町役場から区長に宛てた通知が当時の区長文書綴に綴じられています。当時は区長が神宮大麻と暦の頒布を行い、役場に料金の納付を行っていたことがわかります。文面は次の通りです。 昭和十九年十…

善龍院の四国八十八ヶ所霊場巡り

加東市社の市街地の北の端辺りに善龍院があります。寺号は涌羅野山慈眼寺善龍院で真言宗の寺です。天暦(てんりゃく)の頃(10世紀中ごろ)に藤原敏行が霊夢によって彫った青面金剛を弁恵僧都が背負ってこの地に持ち来たって寺院を建立したと伝えられてい…

昭和18年-西脇で『成人公民教育講座』② その演題一覧

昨日に続いて、『成人公民教育講座』の日程と内容を紹介します。織物の町、西脇の地域的な特色をよく表す演題が続いています。その講義内容が知りたくなりますね。 24日(水) 17,30-19.30 戦力増強と徴用令 西脇職業指導所長 杉田源一 19,…

昭和18年-西脇で成人公民教育講座①

昭和18年(1943)の3月、県立西脇工業学校の「成人公民教育講座」の案内ビラが当時の社部落会長の常会協議事項綴に綴じられています。5日連続で各2講話、全10講話が行われています。 『成人・公民教育講座』 回覧文 今回文部省・兵庫県・兵庫県実…

昭和18年-小野国民学校で軍人援護会主催映画会

昭和17年(1942)の夏、軍人援護会の兵庫県支部の主催で、前線と銃後を結ぶ映画会が小野国民学校で開催されています。その案内が当時の社区(現加東市社)の書類綴に綴じられていますので紹介します。当時は今の加東市と小野市域が同じ加東郡でした。 …