2016-11-01から1ヶ月間の記事一覧
29日(火)、兵庫県公館で統計功労者表書式が行われ、国勢調査をはじめ統計調査に携わった方々に知事、各省から表彰状、感謝状が贈られました。 昨日、大正14年の国勢調査に関する兵庫県主催の統計調査の講習会の案内を紹介しましたが、今日は同じ社町(…
29日(火)、県公館で平成28年度兵庫県統計功労者表彰が行われます。国勢調査など諸統計で功績のあった方々に表彰状が贈られる式ですが、大正14年(1925)の社町社区の雑書綴の中に、「統計講習会」の案内通知が綴じられていました。 兵庫県の主催…
今から91年前、大正14年(1925)の夏、社尋常高等小学校(現加東市立社小学校)から公開教授(授業)の案内が出されています。 案内は社町社区(現加東市社)区長の「雑書綴」に綴じられているものです。 拝啓 明後、二十日午前八時より本校に於て教…
朝のウォーキングでは人が動き出す前の静かな街の景色を楽しむことができます。公演、池、街路樹、神社、お寺・・・あの角この路地、と毎回少しだけ違う道を歩きます。 銀杏が散って絨毯のようです。銀杏も神社も朝日で輝くのを待っているようです。若宮さん…
25日(金)の朝、いつものコースを歩き、大師殿を出て持寶院の山門前まで来ると、向かいの「ゆらのホール」の広報掲示板に「加東市赤穂義士祭」のポスターが掲示されていました。 12月14日の赤穂義士討ち入りの日には、加東市家原の観音寺で義士祭が行…
24日(木)の朝、ウォーキングで慈寶院の大師殿にお参りをしたのが午前7時前でした。堂内に照明が灯っており、内部が明るく照らされ、お大師さんのお顔が浮かび上がって見えました。 この大師像は木像の大師像としては日本一といわれ、高さ一丈六尺、約4…
23日(水)、昼前、庭に一羽のシジュウカラがやってきて、枝から枝へと飛びまわっているのに気づきました。 11月のはじめ頃にもブログで紹介しましたが、もう葉が落ちてい木も多く、今日の方がよく見えます。しばらく動きを追っていましたが、地面にも降…
11月21日(月)、沖縄県糸満市の摩文仁の丘にある国立戦没者墓苑にある兵庫県の戦没者慰霊塔、「のじぎくの塔」で行われた慰霊祭に参列しました。 塔には沖縄戦で戦没された加東郡の出身兵の尊名が刻まれていました。43柱の尊名の中には、当時の地区文…
もうすぐ23日、国民の祝日、勤労感謝の日ですが、この日は戦前は新嘗祭の祭日でした。新嘗祭は、天皇陛下が新穀を神に供え、御自らそれを食するという祭儀です。 大正14年(1925)、加東市社の佐保神社から区長宛てに新嘗祭の案内が出されています。…
17日の朝、まだ静かな街に鳥の鳴き声が聞こえます。西の空には白く光る月、そして道路やフェンス、木の枝などには鳥の姿がありました。 そっとカメラを構えてシャッターを押しました。朝日を浴びて体を温めているようにも見えるスズメ。夜の間どこにいるん…
大正14年(1925)5月23日、但馬地方北部でM.6.8の強い地震が起き、城崎などで大きな被害が出ました。 この北但震災に対して、義捐金の募集が社町(旧社町、現加東市社地域)で行われました。その文書が当時の社町社区長の「雑書綴」に綴じられ…
16日(水)、早朝の西の空低く、白い大きな月が流れる雲に見え隠れしながらかかっていました。 やがて朝日が射し始めると、庭の柿の実が鮮やかな柿色に輝きます。 ぴーという鳴き声の方を見ると、ヒヨドリが庭の隣の駐車場の桜の木に来てとまっていました。…
大正13年(1924)7月1日からメートル法が実施されました。社町社区長の「雑書綴」の中に、社町役場から出されたメートル法実施のチラシが綴じられています。 度量衡の単位の基本が、メートル(三尺三寸)、アール(一畝〇二五歩)、リットル(五合五…
大正13年(1924)の11月初旬、陸軍の機動演習の周知と井戸や肥壷などの場所が分かるようにすることなどの通知が社町役場から各区長に出されています。 この通知は、社町社区長の「大正拾参年雑記綴」に綴じられているものです。戦前は陸軍の演習が当…
13日(日)は、穏やかな秋晴れの一日でした。市内ではさまざまな催しが行われましたが、会場を訪れると、秋色に映える加東の姿に出会うことができました。 滝野文化会館のケヤキが色づいていました。社高校の白い校舎と透明な青空、もうすぐ色づくセコイヤ…
昭和18年(1943)の10月、社町常会徹底事項で、「輸送力を強めよう」の表題の下、旅行や荷物を送るなどをやめ、軍需物資の輸送力増強が呼びかけられています。 また、「錬成」や「買出」の名の下の旅行もこの際止めるようにとも書かれています。戦時…
昭和19年(1944)9月の社町常会徹底事項の冒頭には「一億鉄石の肚がまへをきめること」との表題が記されています。いよいよ厳しくなってきた戦局に対して、「大和一致」の精神で、鬼畜米英との決戦に臨み、一億の真の力を思い知らせようと呼びかけて…
昭和18年(1943)の10月社町常会徹底事項の項目の中に「国民健康保険組合に関する件」が挙げられています。 その説明資料と思われる文書が当時の常会協議事項綴に綴じられていますので紹介します。 国民健康保険について 一、保険は国民として一人も…
昭和18年(1943)の8月の「社町常会」で配給係からの提出事項の中に、「マッチの配給について」の項目が記されています。 マッチは生活必需品ですが、そのマッチも隣保を通じての配給になること、そして、役場や事務所、事業所など業務上必要なマッチ…
昭和18年(1943)、社町防空本部から各区長、警防団幹部宛に「準備管制強化」に関する通知が出されています。県の告示によるもので、準備管制で消灯すべき燈火が加えられ、その結果、社町内(旧社町、現在の加東市立社小学校区域)で残す屋外燈が具体…
加東市の隣、加西市にある鶉野飛行場跡が戦争遺跡として整備が進められています。 昭和20年(1945)当時の社部落(現加東市社)の文書綴の中に鶉野飛行場の工事への勤労動員に関する資料が綴じられています。 この歴史ブログではこれまでにも関係資料…
社町社部落(現加東市社)の常会協議事項綴の中に昭和19年(1944)12月1日付の区公会堂借用に関する書類が綴じられています。 社区公会堂は、加東市社市街地の銀座通りにあります。建物は今も遺されており、作業所として使われています。小さい頃は…
朝日が柿の実を照らす頃、庭が騒がしくなります。まるでジェット戦闘機のように翼を広げて集団でやってくるムクドリの編隊です。いったん電線にとまり、周囲の安全を確かめるかのように静止、その後一斉に柿の木に舞い降ります。 よく見ると、よく熟した柿を…
4日(金)、家の庭から鳥の鳴き声がするので見てみると、小さな鳥が木の枝にとまったり、ハス用の火鉢に降りてきたりしながら動いていました。 早速、カメラを取り出しシャッターを押しました。義母が庭に可愛い鳥が来ているよと妻に話しているのを聞いてい…
昨日に続いて、昭和19年(1944)5月の社町常会徹底事項の説明資料から「食糧自給の年」の項を紹介します。 戦局がきびしくなるなか、前月の4月の徹底事項でも戦力増強のために一億一丸となって邁進しようとの呼びかけがなされています。食糧のみなら…
昭和19年(1944)5月、社町(旧社町、現加東市の社小学校区域)の常会における5月の徹底事項の中に、「空地利用で食糧の大増産」が挙げられています。その説明資料が綴じられており、紹介します。 学校の運動場も耕してイモを作ったという話は親の世…