2013-01-01から1年間の記事一覧
加東市社の百旗(ひゃくはた、ひゃくはったい)の墓地から北西を望むと遠くに五峰山の山塊がどっしりと横たわるように望めます。百旗の地名の由来は昨日のブログで紹介した通りですが、義経も同じ景色をみたのでしょうか。 五峰山との間には、社の市街地、千…
加東市社の市街地の東、道池交差点の東に社の墓地の一つ、百旗墓地があります。百旗(ひゃくはた、ひゃくはったい)という地名は源平合戦で知られる三草山合戦で平氏を奇襲し、敗走する兵を追ってこの辺りまで来た義経軍は百本の旗を立てて陣を張ったという…
加東市河高に滝野総合運動公園スカイピアがあります。運動公園の芝生広場から東には、眼下にJR加古川線、その向こうに加古川の流れ、さらに広々とした播州平野の中に田圃と町が点在し、さらに遙か六甲連山が望めます。 雄大な景色を見ていると心も晴れ晴れ…
昭和4年(1929)の秋、元加東郡公会堂(現加東市明治館)で兵庫県耕地整理協会主催の活動写真会が開催されています。 当時、郡公会堂では盛んに活動写真会が開かれました。明治45年に建築された公会堂は加東郡議会が開かれていましたが、郡制廃止の後…
加東市社の市庁舎に隣接して社中央公園があります。金屋谷池を取り巻く一帯が公園になっており、回遊路も設けられています。中央図書館の南に面してステラパークと名付けられた円形のステージ付きの公園と金屋谷池の西側には堤の傾斜を利用した遊具のある芝…
加東市には兵庫教育大学があります。国立の教員養成大学として社町に設置され35年が経ちます。教員をめざす学生が学ぶ学部と現職の教員が学ぶ大学院から構成される新構想の大学院大学として日本の教師教育、教育の実践研究のメッカとして先導的な役割を果…
赤穂義士の墓碑がある加東市家原の観音寺。菩提所には中央に浅野内匠頭ら浅野家四代の碑があり、その傍に大石内蔵助、主税父子が従い、周囲を義士が囲むという配置で墓碑が並んでいます。 境内の菩提所入口にその配置図が掲示されています(写真)。そこには…
23日(月)、天皇誕生日の夜、加東市社の社中央公園ステラパークは光に彩られました。 5回目の「地球にやさしいクリスマス・イブ」が開かれ、いつものイルミネーションに加えてピンクの照明、中央の芝生には2000個の廃油キャンドル、図書館からは緑の…
この写真は12月14日の赤穂義士祭の日、江戸の刃傷事件を赤穂に知らせる早籠にちなんで行われる加東市中学校駅伝競走大会の会場で撮したものです。 数年前からコースが変更され、義士の墓碑のある観音寺の西に広がる田圃の中の農道がコースとなっています…
12月14日の加東市赤穂義士祭が行われた家原観音寺境内に川柳やしろの皆さんの句が掲げられていました。参拝の皆さんがドラム缶たき火で身を温めながら川柳を肴に談笑する風景が見られました。 思わず「いいね」を連発してしまいましたが、いくつか紹介し…
写真は加東市社市街地と関電タワーの風景です。関電タワーは社のランドマーク。加古川の河岸段丘の中位段丘に社の市街地が形成され、今建設中の加東市役所は高位段丘である嬉野台地の西端に位置します。遠くからも関電タワーが目印になりますが、市街地の街…
ライオンズクラブの年末恒例の活動であるサンタクロース訪問が行われました。 ライオンズクラブではメンバーが手分けをして市内の幼稚園、保育園を訪問し、プレゼントを配ったり、マジックや腹話術を披露していますが、今年、私は他のメンバーとともに米田保…
ほぼ毎朝歩いていますが、四季を通じて、夜明け前の時間帯が一番好きです。世の中はまだ静かに眠っています。昼間はトラックが音を立てて走る幹線道路もこの時間帯はほとんで走っていません。 東南の方角の空がほんの少しオレンジ色に変わり始めるとき、ちょ…
加東市上三草、やしろ国際学習塾の白い屋根の建物がひときわ大きく目立ちます。 三草川に面し、京街道筋のこの地は、江戸時代は三草藩陣屋や藩士の屋敷がありました。近代に入り、陣屋跡には三草小学校が建てられ、移転後はやしろ国際学習塾が建設され現在に…
加東市山国はその名が示すように嬉野台地の西部に位置する標高百メートル余りの高台にある大きな部落です。集落の真ん中を県道神戸加東線が走り、国道372号が社地区との境辺りを大きくカーブしながら走っています。 その372号を見下ろすように山国の集…
加東市家原の観音寺の西側には、圃場整備され整然と区画された田圃が広がり、その中を真っ直ぐに農道が延びています。その道の脇に五輪塔らしきものがぽつねんと立っている一角がありました。 義士祭の日、空は晴れ、冷たい風が吹き抜ける中で行われた加東市…
時は元禄14年12月14日・・・で知られる赤穂義士の吉良邸討ち入りにちなんで今年も14日(土)に加東市赤穂義士祭が四十七義士菩提所がある観音寺で行われました。 朝から冷たい風が吹きつけるなか、加東市家原赤岸の観音寺では義士装束に似せた法被姿…
14日(土)は加東市家原の観音寺で赤穂義士祭が行われます。あらためて今日の義士祭の行事を紹介します。ふるさと加東の歴史を伝える義士祭にどうぞ足を運んでみて下さい。今年の義士祭の催しは次の通りです。 8:30~ 観音寺境内で甘酒の接待(地元家…
いよいよ14日、義士祭が迫ってきました。そこで、今日はあらためて加東市家原観音寺で義士祭が行われているのか、その経緯をさぐってみましょう。 元禄14年(1701)3月14日、江戸城内で赤穂藩主浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が吉…
14日(土)は義士祭です。毎日義士祭の紹介をしていますが、今日は観音寺境内にある義士を讃える2つの碑を紹介します。 一つは「薦誠碑」(せんせいひ)です。境内の四十七士の墓碑がある菩提所の入口脇にある大きな石碑です。 弘化4年(1858)に義…
今週末の14日は義士祭。毎日加東市赤穂義士祭の紹介をしていますが、今日は昭和初年の義士祭のようすを知ることができる一枚の写真を紹介します。 本家赤穂市の義士祭では義士行列が呼び物ですが、加東市の義士祭でもかつては青年が討ち入り装束で義士に扮…
今週14日に加東市家原の観音寺とその周辺で赤穂義士祭が行われます。そのご案内を兼ねて義士祭の紹介をしていますが、義士祭といえば甘酒の温かく甘い味とともに思い出がよみがえってきます。 観音寺境内の義士墓域の入口で地元家原地区の皆さんによる甘酒…
この写真は昭和10年代の観音寺境内にある赤穂義士の墓碑です。観音寺の門をくぐり、境内に入ると正面に本堂があります。左側の庫裏と本堂の間の細い通路を進むと一段高いところに赤穂義士の墓があります。主君浅野候を中心にその脇を大石内蔵助父子が控え…
今日は14日(土)に行われる加東市義士祭のご案内をします。義士祭といえば赤穂市のそれが全国的に知られていますが、加東市家原の観音寺でも義士祭が行われます。昭和の初年から行われてる伝統の行事です。(写真は観音寺本堂、四十七士墓碑は左奧にあり…
12月14日は赤穂義士祭。加東市社の商店街には義士祭の幟が立てられ、今年も義士祭の頃になったんだと思います。14日には、義士祭が盛大に開かれます。 昨日は義士の一人、加東の地に縁の深い吉田忠左衛門と状ヶ池を紹介しましたが、今日は「赤岸」につ…
加東市の新庁舎建設現場の東、国道372号のその東側に状ヶ池があります。日が西に傾き、池面に光が反射して、隣の社中学校のグラウンドからは部活動に取り組んでいる中学生の明るい声が聞こえてきます。池の西側の堤は公園になっており、春には桜の花見で…
今日も東福寺(加東市松沢)で行われた弁財天祭りでの山伏による斎灯護摩の儀式のようすを写真で紹介します。 護摩焚きに際して、本堂の前庭に組まれた護摩壇の結界の中で山伏によるさまざまな儀式が執り行われました。その一場面です。向こうには弁財天をお…
12月1日(日)に行われた加東市松沢の東福寺弁財天祭りの最後は餅まきでした。本堂から役員さんらによってビニール袋に入った丸餅が参拝者に向かって投げられると、歓声があがり落ちてころがる餅を競って拾います。中に番号札が入っており、用意された景…
昨日は加東市松沢の大深山東福寺の弁財天祭りと護摩焚き、火渡りを紹介しましたが、今日は、その東福寺の滝を紹介します。 大深谷(おぶかのたき)と呼ばれている滝は本堂に向かって右の山から落ちている滝で、水量は水がしたたり落ちる程度です。地元の方に…
12月1日(日)、加東市松沢の大深山東福寺で弁財天祭りが行われ、堂前では山伏によって護摩焚き、火渡りが行われました。 5年前にも参拝しましたが、この時は用事で護摩焚きの時間まで居ることができずに残念でしたが、今日は午後に参拝し、ちょうど法要…