2011-02-01から1ヶ月間の記事一覧
昨日に続いて、昭和初期の加東郡社町立社尋常高等小学校の教育を「一覧」から紹介します。「訓育」「体育附養護」の項目に挙げられている内容を見ると、登退校時礼式、神社参拝、義士会など当時の時代性を表す項目がありますが、基本はそれほど違っていない…
昨日に続いて、昭和初期の加東郡社町立社尋常高等小学校の教育を紹介します。 「一覧」(今でいう要覧)の中の「学校経営の実際」の項に挙げられている事柄からは、当時の学校での教師の仕事の内容が読み取れます。用語は少し違っていても内容的には今と基本…
ここに昭和初期のものと思われる「加東郡社町立社尋常高等小学校一覧」があります。これは現在の学校要覧にあたるもので、16頁の小冊子になっています。 これまでにこの歴史ブログでも何度か紹介してきましたが、今日は、その中に書いてある「教育方針」を…
旧社町(現在の加東市立社小学校区域)時代の社区の文書が綴られている『大正15年 雑書綴 社町社』の中に、評議員・参与員会の協議事項の項目を書いたメモが綴じられています。 そこには、県立社高等女学校の負担金の件、池の埋立、病院設置案、溜池築造の…
『大正拾五年四月 雑書綴 社町社』の中に、社の忠魂碑の除幕式の案内通知が綴じられています。 社の忠魂碑は加東市社の市街地の南端、明治館(旧加東郡公会堂)の敷地内にありますが、その忠魂碑が建立されたのが大正15年(1926)、除幕式が行われたの…
15日(火)朝、前日の雪が朝日にまぶしく光っています。加東市の中心に広がる嬉野台地を車で走っていると、源平合戦の古戦場で知られる三草山(標高423m)が白く雪化粧をして遠望できました。 今から827年前の寿永3年2月、源義経は一ノ谷に向かう…
『大正拾五年四月「雑書綴」社町社』の中に、昭和2年(1927)3月5日に社町役場で開かれた区長会議の協議事項と題した文書が綴じられています。 当時の社町は、昭和の合併前の旧社町で、現在の社小学校区にあたる区域です。家屋調査、税の申告の他、陪…
2月11日(金)、建国記念の日は、加東市の東西で伝統の祭りが行われました。昨日のブログで紹介したのは河高の八幡神社の厄神祭り。そして、今日は上久米の東光寺で行われた大日祭を紹介します。 大日祭は「大日さん」とよばれて昔から親しまれてきました…
2月11日(金)、今日は建国記念の日。紀元節。玄関に国旗を揚げて祝います。この日、加東市河高の八幡神社で厄神祭が行われ、背後の五峰山もうっすらと雪化粧するなか、多くの人が参拝しました。 八幡神社の脇から山の上に通じる道を登ると、頂上部分には…
「昭和八年四月 雑書綴 社町社区長」には当時の通知などの文書が綴じられています。その中に茶封筒が挟んであり、中に健康博覧会の入場券が数枚入っていました。 タテ7センチ、ヨコ9.5センチの小さな入場券(写真)には次のように印刷されています。昭和…
昭和8年(1933)の社町社区長の「雑書綴」の中に、社町農会から各区長宛てに出された「蔬菜種子斡旋」の通知が綴じられています。この社町は昭和の合併以前の社町ですから、今の加東市社小学校区にあたる区域です。 「蔬菜」(そさい)とは、野菜などの…
先日、加東市吉井の住吉神社の石鳥居の前に置かれている不思議な力をもつ竜神岩を紹介しましたが、今日は住吉神社を紹介します。 きれいに整備された参道を行くと、深閑とした境内に入ります。石垣の上に拝殿、社殿、小宮があります。 拝殿に掲げられている…
加東市木梨から中国自動車道をくぐり、北へ向かって上る坂道の右手山中にコンクリートの階段があるのに気がつきました。通り過ぎて坂道の途中まで来て気になって方向転換し、坂を下って階段の下、すなわち中国道の側道まで戻りました。 車を降りて階段を上が…
冬の田圃は枯れた草の色。加東市天神の市街を見下ろす山に一ノ宮神社があります。谷をはさんで中国自動車側から見ると、棚田の向こうに一ノ宮神社と背後の山が視界に広がります。 一ノ宮神社は播磨風土記に出てくる端鹿里の産土神で掎鹿寺の鎮守であると伝え…
冬の播州は、中国山地を越えてきた冷たく乾いた空気が流れ込んでよく晴れます。そんな中、加東市長貞の貞守集落の東の少し高くなっている田圃の中を水路にそった道路をゆっくり走っていると、青い空に向かって鋭く突き刺すように屹立する2本の大きな杉の木…
加東市吉馬の県道を走っていると、東の山側、道沿いの田圃の中にぽつねんと岩というか、石柱がたっているのが目に飛び込んできます。高さは2メートルぐらいでしょうか、人の背の高さよりも少し大きく、自然石のように見えます。よくよく見ると、てっぺんに…