2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧
今日もふるさと加東の歴史の参考書を紹介します。ふるさとの歴史は寺社の建造物や踊りなどの民俗芸能、仏像、石造物や史蹟などさまざまな文化財から学ぶことができます。そういう時に役に立つのがこの一冊、『加東郡の文化財』です。 同書は昭和44年(19…
加東市社の市街地の北、家原に「赤岸」交差点があります。これまでにもこのブログで何度も紹介してきましたが、「赤岸」は「赤穂義士」が訛ったものといわれ、交差点のすぐ近くに赤穂義士ゆかりの寺、観音寺があります。同寺には赤穂四十七義士の墓碑があり…
今日は、ふるさと加東の歴史を調べるときによく参考にしている「広報やしろ縮刷版」を紹介します。この冊子は新社町制30周年記念として刊行されたもので、昭和30年(1955)の合併(社町、福田村、米田村、上福田村、鴨川村)で誕生した新社町の30…
これまで郷土の歴史を調べるときに参考にしている『加東郡誌』、『新修加東郡誌』、『佐保神社誌』と『東条の道標巡覧記』を紹介してきましたが、今日は『兵庫県百年史』を紹介します。 兵庫県が誕生してから百年の節目にあたる昭和42年(1967)に記念…
昨日の投稿では『加東郡誌』(大正12年刊)を紹介しましたが、今日は私の大切な参考書である『新修加東郡誌』を紹介します。 『新修加東郡誌』は昭和49年(1974)に発行されています。『加東郡誌』編纂から約50年の歳月が経っていました。また、昭…
私の郷土史研究で常に参考にしている本が『加東郡誌』です。958頁の分厚いもので、大正12年(1923)に発刊されています。編纂者は加東郡教育会。当時の加東郡は現在の加東市と小野市域にあたります。加東郡の地理、歴史、政治、産業・・・などあら…
24日(月)、地蔵盆のまつりが加東市下滝野地区の公民館裏のグラウンドで行われました。毎年8月24日の夜に行われるこの盆踊りは、ここ2年続きで雨のために公民館の2階の広間で開催されてきました。しかし、今晩は五峰山から吹き下ろしてくる涼しい風…
23日(日)、加東市新町、吉馬の2地区で地蔵盆の盆踊りが行われました。澄んだ空気が広がり、空には半月が光っていました。涼風が吹く心地良い夜の広場には、やぐらを囲む踊りの輪ができ、加東よしよし音頭や炭坑節、河内音頭など太鼓や鉦の音に合わせて…
22日(土)、加東市横谷地区の盆踊りが行われました。日が沈む頃には地区の地蔵堂、グラウンドに役員さんや子供の姿が見られ、澄んだ空気のなか、涼しい風が吹きわたる心地良い夜になりました。 横谷の地蔵盆の供養は毎年24日に行われていたのですが、現…
郷土の歴史を繙こうとするとき、『佐保神社誌』をよく参考にしてきました。大正12年(1923)に佐保神社社司の神崎氏によって編纂されたものですが、地図や写真、神社の由緒来歴、宝物、建造物、氏子、末社など佐保神社に関することが17章232頁に…
私の事務所のテーブルには、四季折々の植物、盆栽が置かれ、来所の皆さんを楽しませてくれます。実は後援会長さんが届けて下さるのです。 今、テーブルで花を咲かせているのは「なんばんぎせる」です。調べてみると、南蛮人のパイプの形に似ていることからそ…
道標に関心をもち、この歴史ブログでもよく紹介してきました。中学の社会科教師をしていた時、郷土学習で地元の郷土史家であり私の中学時代の恩師でもある先生をお招きし、社町内の道標についての講話をしていただいたことがあります。また、やしろ歴史民俗…
18日(火)、加東市山国の観音堂前の広場で盆踊り、花火大会が行われました。 山国地区では、毎年8月18日に初盆供養の盆踊りが行われてきましたが、年々盛大に開催されるようになり、今年も地区住民の皆さんをはじめ、近隣の地域から踊りと空高く上がる…
佐保神社(加東市社)の広い境内の中に一本の欅の大樹が枝を伸ばしています。その太い幹の根元、木陰に日露戦役記念塔が立っています。台座の上に円柱形の石塔が立てられ、南向きの正面には「日露戦役記念」と刻まれています。西側には「玉木愛石 敬書」と揮…
16日(日)の夜、加東市の旧東条町の黒谷地区の若宮八幡神社の境内で恒例の夏祭りが開かれました。 8時過ぎに会場に着くと、すでに境内には、浴衣姿の多くの人で賑わっていました。この祭りには、黒谷地区の皆さんはもちろん、他地区からの踊り手さんや今…
神戸新聞に8月10日付明石版に「市民会館しおさい便り」欄に中崎公会堂(相生町1)が写真とともに紹介されていました。以前、この公会堂の前を通りかかり、初めて見たとき、「あっ」と声をあげたことを憶えています。加東市社にある明治館とうり二つだった…
8月15日(土)、終戦70年目の朝、歩いて加東市社の明治館前の広場にある忠魂碑の前で静かに英霊の御霊に祈りを捧げた。 今日の日本が独立、平和、繁栄を維持することができているのは英霊の尊い犠牲のお蔭であり、神界霊界からの英霊のご守護と導きがあ…
加東市河高の滝野総合運動公園に隣接する一角に河高地区の共同墓地があります。以前からこの墓地にある戦没者墓地のことを聞いていたので訪れました。 墓地は東向きの広い傾斜地に整然と墓石が並び、ちょうどお盆の墓参りの家族連れの姿がありました。小雨が…
一昨日投稿した加東市岩屋の薬師堂のすぐ東に小さな祠があり、その中に赤いよだれかけを着けた石仏が祀られていました。平たい石板に仏さまが刻まれており、天辺に突起がありました。その形から石棺仏のように見えました。 いつも参考にしている『東条の道標…
加東市山国の集落の中の細い道を車で通っていると、分かれ道に道標が立っているのに気づきました。ここに道標があったことは以前から知っていたのですが、すっかり忘れてしまっていました。ひょっとしたら、このブログですでに紹介してきたかもしれませんが…
10日(月)、加東市岩屋の県道を天神に向かって東条川沿いに走っていると、俄に空が曇ってきました。ふと北側を見ると、岩屋の薬師堂の大杉が目にとまりました。いつも見慣れている風景ですが、急に寄ってみたくなりました。 県道から細い道に入り、田圃の…
佐保神社境内にある稲荷社の鳥居と社が朝日に映えて輝いていました(上段写真)。 稲荷社の鳥居の再建のようすはこのブログで紹介してきましたが、色がくすんでいた社の柱や壁、そして屋根がきれいに塗り直され、清掃されてよみがえっていました。屋根を覆っ…
加東市上田地区の集落の中の道路を走っていると、ふと一本の石柱が目に飛び込んできました。道標だ、と思い、車を止めて近寄ってみると、確かにへんろ道の道標でした。村の中の旧道の分かれ道に立っており、周囲はきれいに草が刈られていました。 道標の正面…
8月1日(日)、加東市の最北西に位置する光明寺地区の盆踊りに行きました。会場は地区公民館の上にあるお宮さんに隣接するグラウンドでした。集落を見通せる高台にあり、天然クーラーのような涼風が吹いていました。グラウンドの中央にはやぐらが組まれ、…
加東市上滝野の旧道を車でゆっくり走っていると、電柱のすぐ側に一本の背の低い道標が立っているのに気づき車を止めて見てみました。 もう10年ほど前に一度見た道標のような気がしますが、道路拡幅か、電柱の移設か何かの工事の関係で移されたのかなとも思…
3日(月)の午後、加東市松沢の公民館のある丘の中腹にある忠魂碑を訪れました。以前から地区の親しい方から「松沢には立派な忠魂碑がある」と教えていただいていましたが、ようやく訪れることができました。 坂道の途中、右手のに墓地があり、その奥まった…
今日も、昭和18年(1943)10月に社町役場から区長宛てに出された各物資配給に関するまとまった通知のつづきを紹介します。 五、手編糸(毛糸編)配当ノ件 左ノ通リ配当シタルニ付数ヘ年四才以下ノ児(前回配布セルモノハ除クコト)ニ対シ配布セラレ…
昨日に続いて、昭和18年(1943)10月に社町役場から区長宛てに出された各物資配給に関するまとまった通知のつづきを紹介します。 三、綿縫糸優先購入券送付ノ件 左ノ通リ送付スルニ付九月町常会ニ於テ指示シタル最必需者ニ付衣料切符ト対照ノ上交付…
昭和18年(1943)の秋、社町役場から区長宛てに各物資配給に関するまとまった通知が出されています。 これは、昭和18年から19年にかけての配給に関する通知など書類を綴じた当時の社区文書の中に綴じられていたものです。これまでにもこの歴史ブロ…