ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2016-09-01から1ヶ月間の記事一覧

兵庫県150周年

平成30年(2018)、兵庫県は150周年を迎えます。県では150周年の事業が企画されています。県議会でも議員からこの機会に「県民の日」を制定してはどうか、といった提案も出されています。 ところで、兵庫県の歴史を遡ると、そのはじめ兵庫県が設…

昭和18年-削節と鶏卵の配給通知

再び戦時中の配給に関する資料を紹介します。 昭和18年(1943)、社町役場から区長に対して、削節と鶏卵の配給券の送付に関する通知が出されています。 削節は戸数割を基本としつつ、人員数により配布するよう、また、鶏卵については、家で鶏を飼って…

秋の宝石-イガ栗でお出迎え

昨日、このブログで秋の宝石のようなイガ栗が届けられたことを紹介しましたが、その後、同じ方から「県庁に持っていくなら」と新しいイガ栗が届きました。最初のものからするとひとまわり大きな光沢のよいイガ栗です。ヒノキの葉の緑とイガ栗の茶色。まさに…

秋の宝石-イガ栗が届きました

26日(月)、事務所に寄ると、栗が届いていました。市内のよく知った方がわざわざ持ってきてくださったものです。 イガ栗はさっそく事務所の受付棚に飾りました。割れたイガの中に詰まっているのは大きな栗。それはまるで秋の宝石のようです。今年はできが…

山田錦の里の秋

25日(日)、山田錦の里、特A地区の東条で「山田錦の里探訪ウォーク」が開催されました。今年も230余名の方が参加し、東条から安政池、嬉野から社への約11キロのコースを歩きました。 その出発地の東条川沿いの東条温泉とどろき荘。周辺の田圃には色…

昭和18年-一般家庭用豆腐の配給一戸に2個の割

昭和18年(1943)4月、加東地方事務所は今後一般家庭用の豆腐の販売を配給制にするとの指示をしています。この通知は以前、このブログで紹介しましたが、その後5月に、5月分の配給通知が出されています。一戸につき約2個の割当になっていました。…

久しぶりの夕日と落ちた胡桃

23日(金)、朝、ウォーキングに出ようと玄関に出ると、脇の地面に胡桃が落ちていました。先日の台風16号のあとで4個拾いましたが、昨日また落ちたのでしょう。木を見上げると、空になって割れた実が見えました。 夕方、用事のために自転車で社の市街地…

昭和18年-豆腐、澱粉、塩の配給通知

昭和18年(1943)の11月、社町役場から区長に対して、豆腐、澱粉、塩の配給に関する通知が出されています。これは当時の社町社区(現加東市社)の配給関係書類綴に綴じられているものです。 この通知と一緒に社区内の21の組への配給数一覧表が添付…

昭和19年-絹縫糸やタイヤチューブの配給

昭和19年(1944)、長引く戦時下の生活では物資不足のためにさまざまな物資や食料が配給になっていました。 今日は当時の社町社区(加東市社)の配給書類綴に綴じられている絹縫糸とタイヤチューブの配給に関する通知を紹介します。 通知には同年4月…

米田中学校跡地の碑

先日行われた加東市立米田小学校での地区運動会に出席した折り、校門を入ったところの築山の中に一本の石碑が立っているのが目に入りました。 近寄ってみると、「社町立米田中学校跡」と刻まれていました。背面には米田中学校の歴史が次のように刻まれていま…

鴨川の堤に咲く彼岸花

19日(月)、加東市立鴨川小学校からの帰り道、下鴨川地区で、雨で増水した鴨川にそって県道を走っていると、真っ赤な彼岸花が堤に咲いているのが目に止まりました。 車を止めてシャッターを押しました。周囲を羽黒トンボが飛びまわっていましたがシャッタ…

昭和18年-生魚(鯖、鯵)の配給

今日は昭和18年(1943)5月に行われた、生魚の配給について紹介します。 当時の社町社区(現加東市社)の配給関係書類綴にはさまざまな物資、食料などの配給に関する通知、書類が綴じられていますが、生魚の配給通知はあまり見当たりません。社町が播…

昭和19年-家庭用食料油の配給

今日は、昭和19年(1944)1月の家庭用食料油の配給通知を紹介します。この通知は、先日紹介した褌(ふんどし)の引換券を印刷した紙の裏を使ってありました。 油も紙も貴重な物資だったことが伝わってきます。 昭和十九年一月二十五日 社 町 役 場 社…

昭和17年-家庭用応急米の特配(未成年や妊産婦家庭に)

今日は、昭和17年(1942)、米の特配に関する通知を紹介します。以前にも同年6月に行われた応急米の特配通知を紹介しましたが、9月にも社町長から各区長宛てに通知が出されています。 社町に8石5斗の特配があり、それを6才以上20才未満の子ども…

加東に秋の色-状が池の朝日と彼岸花

15日(木)、朝のウォーキングで社の市街地から東へ、百旗墓地、社こども園、市役所、状が池公園、社中央公園ステラパーク辺りを歩きました。 ちょうど朝日が昇る頃で、東の空に浮かぶ低い雲が朱色から黄金色に輝く一瞬を見ることができました。写真は市役…

昭和18年-農村用褌(ふんどし)の配給

昭和18年(1943)の暮れ、社町役場から各区長に対して、農村用の褌(ふんどし)の配給に関する通知が出されています。これは、当時の社町社区(現加東市社)の配給関係書類綴の中に綴じられていたものですが、以前にも越中褌の購入券をこのブログで紹…

昭和17年-チリ紙配給券受領書

昭和17年(1942)、当時の社町社区(現加東市社)の配給関係文書綴の中に、チリ紙配給券受領書が綴じられています。 用紙は、加東郡土地家屋周旋業組合の用箋で、内橋重太郎商店のゴム印が押されています。内橋重太郎氏は八組(今の田町筋のうち、中田…

昭和18年年末の諸物資配給通知-スルメや数の子など

昭和18年(1943)の年末、社町役場から区長宛てに「諸物資配当通知」が出されています。 数の子や鱒などの正月用品、晒やネル、マッチなどの衣料、日用品なども配給になっています。 当時、社区(現加東市社)は21組あり、人口は約2400人でした…

昭和18年-秋祭用酒の配給、一戸に0.5合

昭和18年(1943)の秋、秋祭りも近づいた頃、社町役場から区長に秋祭用の酒の配当に関する通知が出されています。 この通知は当時の社町社区(現加東市社)の配給関係文書綴に綴じられているもので、通知には、社区各組への配当一覧表が添付されていま…

昭和17年-家庭用菓子の配給、キャラメルなど

戦時中の配給に関する資料を紹介していますが、今日は菓子購入券の配布に関する通知を紹介します。 昭和17年(1942)、家庭用菓子の購入券配布の通知が出されています。4歳までの子供を対象としてキャラメル券が配布されています。ボーロ券は割り当て…

昭和17年-小麦粉の配給、入れ物持参で

今日も戦時中の配給に関する資料を紹介します。昭和17年当時の社町社区(現加東市社)の配給関係書類綴の中に小麦の配給通知が綴じられています。農家以外への配給、入れ物持参などが書かれています。3ヶ月分として、一戸当り0.5キログラムですから大…

昭和17年-精肉と慰問用氷砂糖の配給

昨日に続いて、昭和17年(1942)の配給に関する通知を紹介します。昨日は精肉の円滑、公平な配給に関する通知でしたが、今日紹介するのは、精肉の配給と出征兵士への慰問品の氷砂糖の配給に関するものです。 通知とともに購入券配給書類が添付されてお…

昭和17年ー精肉の配給を円滑、公平に

今日は昭和17年(1942)当時の配給に関する資料を紹介します。 社町社区(現加東市社)の昭和15年末から18年3月の期間の配給関係書類を綴じたものの中に、精肉の円滑、公平な配給に関する通知が綴じられています。精肉の配給を円滑、公平に行うた…

昭和56年-鴨川ダムの威容

今から35年前の昭和56年(1981)、教材づくりのために鴨川ダムやその水路網を調べていたときの写真が出てきました。 この写真は鴨川ダム、一般には東条ダムと呼ばれていますが、堰堤の直下や下流部から撮影したものです。手前に副ダムが見えます。も…

昭和18年-煮干の配給

今日も引き続き、戦時中の配給に関する通知を紹介します。 昭和18年(1943)、社町長から区長宛てに「家庭用煮干」の配当に関する通知が出されています。調理に欠かせない「煮干」。こうしたものも配給になっていたのですね。文書綴には、この通知のあ…

昭和18年-油揚の配給通知

昭和18年(1943)、油揚の配給が行われています。社町役場から社区区長宛てに出された通知が当時の社町社区(現加東市社)の配給関係書類綴に綴じられています。裏紙が使われており、紙も節約されています。当時の物資不足の状況が伝わってきます。 昭…

天神八朔祭り-佳地堂で踊り奉納

9月1日(木)の夜、加東市天神で加東の夏を締めくくる天神八朔祭りが行われました。ここ数日の涼しさに比べると、昼間は少し暑さが戻っていましたが、午後7時前に天神の佳地のお堂へと急ぎました。 このお堂はお地蔵さまが祀られており、天神地区を疫病な…

昭和18年-縫糸も配給に

今日も戦時中、昭和18年(1943)の配給に関する通知を紹介します。 この頃になると、縫糸も配給が難しくなっていたことがわかります。販売所に丹波屋の名がありますが、写真は昭和10年代の社の商店街の写真で、「毛糸」の丹波屋さんの看板が見えます…