ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2012-11-01から1ヶ月間の記事一覧

天から地上へ-薬師堂の金色

一雨ごとに秋が深まり、野山を彩った紅葉も盛りを過ぎようとしています。12月のはじめの開通を間近に控えた国道372号のバイパス加東大橋の東詰めの加東市貝原の薬師堂の境内は黄金色に光っていました。それはまるで天から黄金が降ったようでありました…

神秘漂う朝霧の池

日が昇る前の時間帯は神秘的な気が漂っている。特に霧が出ているときは、いつもの景色がまるで違って見えるもの。秋から冬にかけて池や川には霧がかかる。 ウォーキングで歩くコースに池がある。これまでにもこのブログで紹介してきた大池だ。静かな水面から…

朝霧の社交番-昔田圃今公園

秋が深まると嬉野台地は霧が出ます。早朝夜が白む頃ウォーキングのコースでその嬉野台地の西端にある加東市社の中央公園の中を通ります。桜と芝生が飢えられた金ヶ谷池の堤を上ると、視界には社の市街地が広がります。すぐ眼下には公園とその一角にある社警…

秋色の三草山遠望-源平合戦のあと

加東市木梨の市役所から千鳥川へ下る坂道の途中から望む三草山の姿は一年を通じて素晴らしい。手前に広がる刈り取りあとの田圃、その向こうに緩やかな丘陵が横に広がりその向こうに独立山塊の三草山が屏風のようにどっかと居座る。さらにその奥には清水寺の…

昭和13年-戦傷平癒祈願の通知

昭和13年(1938)の初夏、前年に起きた支那事変から一年が経とうとする頃、社町長名で、各区長や団体長、学校長宛に郷土出身兵の「戦傷平癒祈願祭執行」の通知が発せられています。佐保神社で出動の奉告祭をして戦地へ向かった郷土兵が戦地で負傷し、…

秋色の佐保神社の銀杏と隣の塀

今年の紅葉は桜と銀杏がきれいだと思いませんか。秋の透明な空気の中で陽の光に輝く黄金色の銀杏は見事です。加東市では社から東へのびる学園通りの銀杏並木が長い間目を楽しませてくれます。桜の葉はいつも色づくというより枯れたようになって雨や風で落ち…

昭和12年-遺骨凱旋の出迎え図

昭和12年(1937)12月2日、郷土社町山国から北支方面に出動し、戦死された兵の遺骨凱旋に際して、福田橋から社を通過、山国までの経路に地元の各団体、町民が整列して出迎えを行っています。 その通知に出迎え図が添付されています。姫路から自動車…

社小学校創立97周年レコード-昭和44年

昨日は兵庫県立社高等学校の1970年卒業記念レコードを紹介しましたが、そういえば、社小学校(加東市立)にも同じような記念のレコードがあったことを思い出しました。昭和44年(1969)の創立97周年記念のものです。 写真の通り、三階菱の校章、…

社高校1970年卒業記念のレコード

友人が懐かしい物を持ってきました。家の中を整理していて出てきたもので、1970年(昭和45)卒業記念のレコードです。昭和44年度第22回卒業記念として制作されたものです。私は24回生ですから2年上の先輩のものです。社高校校歌と学生歌の2曲…

清流の向こうに秋の三草山

秋色に染まる北播磨の野山。日々その色が深まっていくようです。ここ加東市上三草のやしろ国際学習塾の正面玄関の前、三草川に架かる橋の上から望む三草山は、春は桜で美しいのですが、今日は秋色の景色を紹介します。源平の古戦場、西国巡礼の道、三草藩陣…

昭和12年-遺骨出迎えの通知

昭和12年(1937)の秋、この年の7月に起きた北支事変で出動し、戦死した郷土兵士の遺骨出迎えに関する通知が当時の社区事務所の「軍事関係往復文書綴」に綴じられています。遺骨で凱旋する兵士の中に社の兵の名前はありませんが、駅から各村へと凱旋…

秋色の京街道に神事舞の像-上鴨川

国道372号を加東市社から丹波へ向かって走っていると、三草山の麓辺りから秋色に彩られた山の木々に心が次第に癒され和らいでいくのが自分でわかります。 上鴨川を過ぎ、峠へと続く登り坂を曲がると左手に池が見え、道路ぎわにミニ公園があります。車を止…

そろそろ紅葉が-三草山

急に冷え込んだ14日午後遅く、久しぶりに兵庫教育大学の丸善書店に注文の本を受け取りに行きました。書店の窓から望む三草山は紅葉の一歩手前の姿を見せてくれていました。ここから見る三草山は雄大です。独立の山塊である三草山は屏風のように見えます。…

秋の大師堂-持寶院

ようやく紅葉が始まり秋の深まりを実感する頃となりました。市内を車で走っていると、街路樹の銀杏や欅の紅葉が一番美しい頃ではないかと思います。加東市社の学園通り、加東市社の嬉野口交差点から社高校・兵庫教育大学附属小学校にかけて、銀杏並木がまさ…

昭和13年-凱旋兵の歓迎

この歴史ブログの10月29日投稿で紹介した、昭和12年秋に応召、佐保神社で奉告祭、社駅から出発して行かれた兵士の一人、田中勲さんのお名前を翌日、沖縄県糸満市にある国立墓苑の兵庫県出身者慰霊塔「のじぎくの塔」の戦没者墓碑に刻まれた郷土出身兵…

昭和12年-日支事変に関する政府声明

社区事務所の軍事関係往復文書綴(昭和12年4月~14年2月)の中に昭和12年7月7日に発生した蘆溝橋事件に端を発した北支事変、のち拡大して日支事変と呼ばれる衝突に関する文書が綴じられています。その中に、活字で印刷された「日支事変ニ関スル政…

昭和12年-佐保神社で國威宣揚皇軍武運長久祈願祭

昭和12年(1937)12月1日、佐保神社(加東市社)で行われる國威宣揚皇軍武運長久祈願祭の案内が当時の社地区軍事関係文書に綴じられています。この年7月に起きた蘆溝橋事件により多くの兵士が動員され郷土からも佐保神社で奉告祭を行い出動してい…

昭和12年-北支派兵に関する時局講演映画会

昭和12年(1937)年7月7日に起きた蘆溝橋事件に端を発する日支両軍の衝突で北支派兵が行われました。わが郷土からも多くの兵士が出動していきましたが、そうした中、兵庫県と加東郡町村長会(今の加東市・小野市域)主催の時局講演映画会が開催され…

掎鹿谷のコスモス

3日(土)、加東市掎鹿谷地区で行われたコスモスまつりに行ってきました。秋晴れの下、コスモスの花が一面に咲いていました。コスモスは加東市の花に選ばれています。加東市の木は桜。春は桜を、そして秋にはコスモス(秋桜)を愛でて楽しむ。いいですね。…

掎鹿廃寺の塔の心礎

昨日紹介した加東市掎鹿谷の薬師堂にある掎鹿廃寺址の塔の心礎についてもうすこし詳しく紹介します。薬師堂に掲示された説明板に心礎のことが次のように書かれています。 市指定文化財 心礎 指定昭和30年3月27日 堂の西側の薮の中にある。長径約160…

掎鹿谷の薬師堂-掎鹿廃寺址

加東市掎鹿谷地区の見晴らしのよい高台の田圃の中の一段低くなった一角に薬師堂があります。小さなお堂と2基の板碑、灯籠、真ん中に穴のあいた大きな石などがあります。この石はかつてこの一帯にあった掎鹿寺の三重の塔の心礎だったとされています。 この地…

昭和13年-社町社の三階前で応召兵歓送

昭和13年(1938)の夏、支那事変勃発から1年余りが経ち、郷土からも多くの応召兵が町民に見送られて出発していきました。社区事務所の「軍事関係往復文書綴」には応召兵の奉告祭、歓送に関する通知が綴じられています。その一つを紹介します。社町三…

のじぎくの塔に郷土出身兵の名が

先月30日に沖縄県の糸満市摩文仁の丘にある国立戦没者墓苑にある兵庫県の戦没者慰霊塔、のじぎくの塔で行われた慰霊祭に参列しました。 のじぎくの塔には、沖縄戦で散華された英霊の名が刻まれています。加東郡の戦没者の名前を順番に読んでいると、ある名…