ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2014-01-01から1ヶ月間の記事一覧

八志路幼稚園-今昔

上の写真は、加東市社にあった八志路幼稚園の園舎です。昭和10年代の写真ですが、昭和30年代、私が小さかった頃の記憶にある幼稚園の懐かしい風景と変わりません。 八志路幼稚園は、大正3年(1914)、社町有志が御大典記念事業として創立したもので…

社南本町商店街の今昔

上の写真は昭和10年代の加東市社の商店街の南本町の風景です。夏の日差しの下、軒を並べる商店には幟があがり、書店の前には自転車が狭しと置かれています。 下の写真は現在の同じ商店街の風景です。ほぼ同じ場所から撮したものですが、上の写真に比べてず…

佐保神社ー今昔

加東市社の街の中心に佐保神社があります。この歴史ブログでは一番多く紹介してきたのではないでしょうか。境内の建造物、石造物、秋祭りに加えて、戦前の郷土からの入営退営奉告祭の挙行など数えきれないほど取りあげてきました。 その佐保神社ですが、上の…

63年の歳月-街の景色も変わった

街の風景の今昔をシリーズで紹介していますが、ごくありふれた身近な風景を昔の写真と比較してみると歳月の流れをしみじみと感じることがあります。 家のアルバムの中に私が生まれる前の父の写真がありました。昭和26年、愛犬ジョンと一緒に撮ったものです…

田町通りにあった御大神宮さんの今昔

加東市社の田町通りに御大神宮さんの祠がありました。写真は昭和初期のもので、田町通りにあった御大神宮さんの前で一人の少年が写っている貴重な一枚です。 この御大神宮さんの由来はこれまでにもブログで紹介してきましたが、再掲します。 田町にあった御…

関電社営業所の今昔

加東市社の市街地のランドマークになっているのが関西電力社営業所のタワー。加古川の中位河岸段丘である社の市街地に立っており、周囲に高い構造物がないこともあって、遠くからでもこのタワーを望むことができます。 さて、上の写真は昭和10年代のもので…

社の市場-今昔

加東市社の市街地のほぼ中央から東へ延びる一筋の道があります。この道筋がかつて社の市街地で古くから一番賑わった田町筋です。現在では商店は激減し、昔ながらに営業している店舗もありますが、静かな住宅街に変化しています。 田町には西から西田町、中田…

360年の伝統の祭-善龍院の初庚申

21日(火)、加東市社の善龍院で360年の伝統を持つ初庚申祭りが行われました。朝は曇ってはいましたが、境内には9時前から参拝の人が次々と訪れていました。 善龍院は、涌羅野山慈眼寺善龍院の寺号をもつ真言宗のお寺です。赤穂の浅野氏の分家である家…

神姫バス車庫の今昔

加東市社の商店街の北端近く、下り坂にさしかかるあたりに善龍院があります。その向かい側に道に面して駐車場のように区切られた一角があり、かつて神姫バスの車庫があった面影を残しています。 上の写真は昭和10年代の神姫バス車庫を撮影したもので、当時…

明治橋今昔

兵庫県最長の加古川の支流、千鳥川が加東市社の市街地の北を流れています。社と滝野方面を結ぶ旧国道175号線にこの千鳥川を跨いで明治橋が架かっています。 明治橋の思い出といえば、小さい頃にお盆の精霊流しをこの橋の上から流れに投げ入れたことが浮か…

社町役場跡-今昔②

この写真(上)は、昨日紹介した社町役場(加東市社の市街地にあった建物)の北側で登校するために集合している社三区の中田町の小学生を撮影したものです。昭和30年代半ばのものです。 役場の建物と車庫、そして左手にはまだ用水掘があった頃の写真です。…

社町役場跡の今昔

写真(上)は加東市社にあった社町役場です。元社税務署の建物で、この写真は昭和10年代の税務署時代のものと思われます。 現在は、その建物はなく、跡地は駐車場(社連合区)と社消防会館・社分団詰所と一部民家になっています。それが下の写真です。ほぼ…

山国の八坂神社の石灯籠

加東市山国の観音堂の隣に八坂神社があります。同地区のグラウンドがあるこの地では夏に盆踊りや花火大会が開かれます。高台にあるため見晴らしがよく、澄み切った冬の空気の向こうに五峰山も望めます。 さて、八坂神社の石灯籠は天保11年建立と刻まれてい…

成人の日の社交番-国旗が掲げられ

1月13日は成人の日。加東市社の嬉野口交差点(社環状道路から学園道路へ入る交差点)にある社警察署の社交番が明るい日差しに白く光っていました。 社中央公園をバックに八角の建物と屋根の上の時計台が目印になる交番です。ちょうどパトカーが止まってい…

加東市の新庁舎を見つめる少女像

12日(日)の昼頃、加東市の新庁舎の近くを通っているとき、まるで新庁舎を眺めているようなポーズの若い女性の像が目にとまりました。 オリンピアロード(姉妹都市のアメリカ合衆国ワシントン州の州都オリンピア市との友好を記念した名)の一角にあります…

社町時代の道徳心を高める都市宣言

最近、市内のある地区の公民館の壁に掲示されているフレーム付のポスターに目がとまりました。日焼けして変色していますが、そこには懐かしい文言がありました。 「道徳心を高める都市宣言」です。これは社町時代の昭和54年に定められた宣言です。当時はこ…

社町時代の節水ポスター

市内のあるトイレで社町時代の節水ポスターが掲示してありました。 「節水」と赤字で大きく印刷された文字が目立ちます。ポスターには平成17年6月23日の東条ダムの渇水時の写真が掲げられていますので、そんなに古いものではありませんが、社町時代のポ…

加東市新庁舎からの展望

加東市の新しい庁舎の内覧会が行われました。嬉野台地の西端に出現した5階建ての新庁舎。南面はガラス張りになっていて、どの部屋からも広々とした展望で景色を楽しむことができます。北向きにも展望が広がり、北西に五峰山、その向こうに雪が光る千ヶ峰、…

社中央公園ステラパークの夕景もう一枚

加東市社の中央公園辺りの風景を紹介してきましたが、台地の西端にあるので社の市街地から西方の青野ヶ原の地平まで展望が広がり、おすすめの夕日スポットになっています。 さて、この写真は夕方のステラパークで撮ったものです。円形の公園の周囲に立つポー…

新しい風景-社中央公園から市役所新庁舎

1月11日(土)、加東市の新庁舎で内覧会と新春交歓会が開催されます。2月の中旬にはこの新庁舎で業務が始まると聞いていますが、庁舎周辺のオリンピア道路の改修も最終段階に入り完成が楽しみです。 さて、この写真は社中央公園の金屋谷池の堤から新庁舎…

屋度の殉国英霊の碑

加東市屋度の薬師堂のある墓所の入口近くに一段大きく高い石碑があります。屋度から出征し戦死された英霊の碑です。6柱の英霊の御尊名が刻まれていました。台石の周囲がコンクリートで固められ白く光っていました。最近整備されたのでしょうか。 碑の裏面に…

日の丸の旗が翻る商店街-社の銀座通り

平成26年の年明け、元旦には加東市社の商店街には鮮やかな白と赤の日本の国旗、日の丸の旗が翻っていました。 この写真は銀座通りです。街灯に二本ずつ日の丸の小旗が掲げられています。社町時代から国旗を掲げる運動が続けられており、国の祝日・祝祭日に…

社中央公園-かつての田圃や店が

加東市社の市街地を取り巻くように走る環状道路(旧国道372号)沿いに社中央公園があります。目印は学園道路との交差点、時計台のある社交番の建物です。 金屋谷池の堰堤を取り込み、傾斜のある公園となっており、遊具や遊歩道もあって小さな子供連れの親…

加東市新庁舎北駐車場の道標

加東市の新庁舎の北側の駐車場の整備工事が進められています。文化財室の建物も解体されましたが、その敷地に仮置きされていた道標はどうなったのか気になって朝のウォーキングで覗いてみました。 この歴史ブログで去年の1月27日付で紹介しましたが、その…

屋度の大年神社前の社町発足記念石碑

加東市屋度の薬師堂に続いて、その東に位置する大年神社に参拝しました。本殿前には松飾り、本殿には幕が引かれていました。 石鳥居の前に一本の石柱が立っているので見てみると、「社町発足記念」「昭和三十年四月一日」と刻まれていました。建立者は「屋度…

加東四国八十一番霊場-屋度の薬師堂

加東市屋度の公民館の近くにお堂と墓所があります。お堂の前には正月の松飾りが立てられ、お堂には幕が引かれていました。 このお堂は加東四国八十八番霊場の第八十一番、(旧福田村)屋度の薬師堂です。ルートは下東条から屋度、そして沢部、東実、山国へ続…

福吉の大歳神社の手水鉢

加東市の福吉地区では、市内で一番早く元旦の朝9時から地区初総会が開かれます。元禄時代に縁起の良い福吉という村名に変えたといわれており、加東市にとっても福吉から新年が明けるのは縁起のよいことです。 毎年初総会でご挨拶をさせていただきますが、そ…

平成26年の初日の出-加東市山国王子ヶ池で

平成26年元旦の初日の出を加東市山国の王子ヶ池の堤で拝みました。 去年も同じ場所で拝みましたが、今年は天気予報が曇りだったのでどうかと思いましたが、日の出の午前7時30分頃には、去年と同じように王子ヶ池の向こうの松林からまばゆい日の出を拝す…

持寶院で除夜の鐘-お大師様に感謝の合掌

12月31日、加東市社の慈眼寺持寶院では恒例の除夜の鐘、ぜんざいの無料接待が行われ、多くの人が訪れました。奉賛会の皆さんが境内でたき火をし、本堂内ではぜんざいの接待が行われました。 大師殿では感謝と願いを書き込んだ護摩木をささげます。日本一…