2018-12-01から1ヶ月間の記事一覧
今日で、この項も最終です。 「四年生の読本で、県税は県の費用になることを習いましたが、詳しく言うと、どんな事業に使っていますか。」 「それはなかなか多方面であるから、一口には言えないが、県立の学校や病院、警察署、道路、橋、公園などの費用をは…
昨日の続きです。昭和6年刊の中学用『兵庫縣郷土讀本』から「縣政の話」を紹介します。 「お父さんは、明日どなたに投票なさるおつもりですか。」 「それは人に言うべきことではない。しかし、議員選挙には人格見識のすぐれた真に県民の幸福のために尽くし…
『兵庫縣郷土読本』の33項は「縣政の話」になっています。戦前の縣政をどのように記述しているのかなと読んでみました。欄外の注には、当時の県庁、現在の県公館の正面写真が掲載されています。本文は次の通りです。 「お父さん、明日は学校が県会議員選挙…
「孝女ふさ」の続き、後半部を紹介します。 廿五(25)歳の折、大病にかかった父はおふさを臨終の枕もとに呼んで涙をながして言いました。 「家が貧しい為にお前を仕方なしに奉公に出したが、お前は少しも私を怨む様子もないばかりか、奉公の身で心のまま…
昨日に続き、『兵庫縣郷土副読本』(昭和6年刊)に掲載されている「孝女ふさ」の項の本文を2回に分けて、紹介します。今日はその前半です。 おふさは加東郡社村の十兵衛の子でした。六歳の時から三草村の茂兵衛の家に育てられましたが、茂兵衛が至って貧し…
兵庫県150周年にあたり、教育委員会では「ふるさと副読本」を作成中ですが、県議会の議会図書室には、昭和6年(1931)年発行の『兵庫縣郷土讀本』が所蔵されていました。小野中学(旧制)1年生の生徒氏名が書いてあり、実際に使用されていたものと…
加東市喜田地区の旧道を車で走っているとき、古い鉄製の警鐘台(火の見櫓)の前を通り過ぎました。古い消防器具庫と思われる建物もありました。ふと、ブレーキをかけてバックでその前まで戻りました。その警鐘台のすぐ側に立っている国旗掲揚柱の台石が気に…
「孝女ふさ」の話も最終回です。今日は「孝行田」と「年譜など」を紹介します。 (10)孝行田の由来 ふさ女は拝領の金拾両を以て、上三草村の両端、下三草村の境に広さ約一反半の田を買い入れた。里人今に字して孝行田と称している。 (11)年譜その他 …
引き続き、「孝女ふさ」について紹介をします。ふさの孝行は江戸の領主のもとに届きました。その表彰の場面やその後のことが詳しく書かれています。 (9)孝子旌表(せいひょう)せらる 養父の病大に漸(すす)むや、ふさ女に向かって曰く、「家貧しくして…
今日も「孝女ふさ」の話です。 (8)孝徳江戸に聞ゆ 当時領主氏福公は定府として常に江戸にあり、遙かに御定書なるものを寄せて、郡奉行に示し、部下並に部民を戒しめた。その中に「百姓共へ御褒美之次第、第一孝子於有之者、先其居村を相糺、近村近郷の取…
今日も引き続き、昭和7年刊の『兵庫県地理郷土書』に掲載されている「孝女ふさ」について紹介します。写真は修身教科書の「カウカウ(孝行)」に掲載されているわらを打つふさ女の挿絵です。 (7)孝子日毎の定着 ふさ女の仕えた定右衛門の家は、ふさ女の…
「孝女ふさ」の紹介を続けます。 (6)孝子父に煙草をすすむ 煙草の植栽が自由であったころ、上三草村地方の農民は各自之を栽培して自家用煙草を刻んでいた。而して採業後残余の茎は皆用なしとて川野に放棄せられ或は風呂焚きの燃料として薪に代用した。孝…
今日も引き続き、「孝女ふさ」の話を紹介します。 (5)孝子主家に飯粒を集む ふさ女の主家は上三草村の定右衛門(定右衛門五代の孫太郎兵衛は今尚ほ生存)の家である。ふさ女は,主家の厨房を整頓し、心なき家人朋輩等の飯粒を流し先に散佚(さんいつ)せ…
『兵庫縣郷土地理』(昭和7年、兵庫縣姫路師範學校発行、兵庫県議会図書室所蔵)に掲載されている「孝女ふさ」の部分を今日も引き続き紹介します。 (4)孝女樵する父を迎ふ 父は上三草村の東方三草山附近の入会野山に樵(きこり)していた。この山はふさ…
『兵庫縣郷土地理』(昭和7年、兵庫縣姫路師範學校発行、兵庫県議会図書室所蔵)に掲載されている「孝女ふさ」の部分を今日も引き続き紹介します。 (3)孝子父のために藁(わら)を打つ ふさ女十三、四歳の頃は、村民の生業は農の外、少々駄賃挽をしてい…
昨日に続き、『兵庫縣郷土地理』(兵庫県立姫路師範学校発行、昭和7年)に記された「孝女ふさ」について、その生家についての記述を紹介します。写真は桜の頃の「孝女ふさ」の碑(加東市上三草)です。 (2)孝子の生地社町 ふさ女の生地は、養家の隣村、…
『兵庫縣郷土地理』(昭和7年、兵庫縣姫路師範學校発行、兵庫県議会図書室所蔵)には、兵庫県下各地域の地理情報が記述されており、当時の産業などの状況がよくわかります。 加古川流域の節の中に、「孝女ふさ」の項がありますので、紹介します。ちなみに「…
14日(金)は、加東市家原の観音寺では赤穂義士祭が行われます。13日の早朝、観音寺の境内にある義士の墓碑を訪れました。明日の義士祭では追善法要が営まれ、保育園、こども園の子供や多くの人が浅野の殿様、大石父子、義士の墓碑に線香を手向けます。…
14日(金)は赤穂義士祭。加東市家原の観音寺では、赤穂四十七義士の追善法要をはじめ、中学駅伝や剣道大会、福引きなどが行われます。 観音寺は社商店街を北に通り抜けた、赤岸交差点にありますが、この赤岸(あかぎし)の地名は、赤穂義士(あこうぎし)…
議会図書室の書庫に戦前の修身教科書の復刻本がありました。そのはじめ、「一 カウカウ」の項目があり、「孝女ふさ」のことが書かれていました。戦前、修身教科書や国語教科書に載せられている人物で、野口英世よりこの「孝女ふさ」が多かったということを聞…
兵庫県議会の議会図書室に昭和7年(1932)発行の兵庫県姫路師範学校の兵庫県地理郷土に関する教科書がありました。その中に、わが郷土、加東郡(現加東市、小野市域)の産業などについての記述がなされており、当時の様子を知ることができました。 釣針…
寒気が南下し、日本列島は冬の空気に包まれました。中国山地から南、瀬戸内の播磨平野は、乾いた透明な空気に明るい冬の日が射します。 国道372号は昔の街道筋、京の都から丹波、そして播磨へと抜ける京街道にあたります。加古川を跨ぐ加東大橋を東に渡り…
12月8日(土)の夕方、国道372号を鴨川から社方面に向かって車で走り、上三草の東経135度子午線の辺りまで来た時、西南の空低く、日が沈もうとしていました。三草山の麓を抜けてこの辺りまで来ると、視界は大きく広がり、まっすぐに延びた国道のそ…
6日(金)の早朝の佐保神社参道は、どんよりと曇った空とは対照的に地面が黄色に染まっていました。瑞神門が見える参道の銀杏の木にはまだ黄色く色づいた葉がたくさん残っていました。暖かかった今年の秋の紅葉は長持ちでした。しかし、さすがに前線通過の…
晩秋の加東市の景色を紹介します。やしろ中央公園と滝野総合運動公園の景色です。 やしろ中央公園は金屋谷池と社環状線の間の傾斜地を活かした公園になっており、春には桜が美しく、夏は緑の芝生がまぶしく、秋は公園内の木々が色づいて、目を楽しませてくれ…
近所の学校道(社小学校への道)の角の家のロウバイが次々と咲き始めました。今年の冬は木枯らしも吹かず、真夏日も記録するなど気色悪いぐらいに暖かい日がありました。 そんなせいか、学校道のロウバイは毎年早く咲き始めますが、今年は一層早いように思い…
12月に入りました。今日(4日)は、とても12月とは思えないような暖かさ、というより暑いぐらいの陽気でした。また、夕方には激しい雷雨が通り過ぎました。神戸からの帰路、呑吐ダム付近で急に強い風が吹き木の葉が道路を舞い、行く手の西の空が時々光…
加東市のゆるキャラ、マスコットキャラクターは「伝の助くん」です。その愛らしい表情と、加東の「か」のヘアスタイルが特徴の伝の助くんは市内のさまざまなイベントに出演しています。2日(日)には、加東市子ども会親善サッカー大会に、そして午後には童…
2日(日)の夕方、加東市社の市街地を見下ろす嬉野台地の西端から地平線に沈んでいく夕日を見ました。この場所からだと、西には青野原台地が地平線となって播磨平野が広がって見えます。 今日の夕日がゆっくりと沈んでいきます。やがて、真っ赤に燃えるよう…
今日紹介する写真は、社町役場と父の写真です。社町役場のあった場所は、現在、加東市社の市街地で、社連合区の管理する駐車場になっており、その一角に消防団社分団の詰所を兼ねた社消防会館があります。木造2階建ての役場庁舎の東隣にわが家がありました…