ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2016-07-01から1ヶ月間の記事一覧

正覚坊こども園のじぞう祭り

30日(土)、午後6時頃、五峰山の方角の空には大きな積乱雲が立ち、沈まんとする夕日の赤みを帯びた光がその雲を照らしていました。 昼間の猛暑が少しやわらぎ、田圃の稲の緑がその濃さを増す、真夏の夕暮れの何とも懐かしい景色を眺めながら加東市上田の…

涼-緑のカーテンができました

真夏の強い日射しが照りつける今日この頃ですが、今年もゴーヤの緑のカーテンができました。部屋の中からは、すだれとゴーヤの緑の葉でやわらげられた光が涼しさを感じさせてくれます。

必死にかきついて-クマゼミの抜け殻

今年の夏も、朝の6時頃になるとクマゼミが一斉に鳴き始めます。 毎年次々と地中からはい出して羽化していた玄関横の庭に変化がみえます。今年は少ないのです。門柱や生垣の枝、家の壁や軒によじ登って羽化し、その抜け殻がそこらじゅうにくっついているのが…

加東市の文化財特別展

24日(日)、加東市上三草のやしろ国際学習塾で開催されている「市制10周年記加東市の文化財特別展」に行ってきました。 1階の展示室には、市内の国宝、重文、県、市指定の文化財の実物や写真、解説が展示されていました。そう広くないスペースですが、…

昭和17年-大政翼賛選挙の回覧

昭和17年(1942)当時の社町社区(現加東市社)の配給関係文書綴には、さまざまな物資の配給に関する通知書類が綴じられています。それらをこのブログで紹介してきていますが、8月分の精肉購入券送付の通知は、兵庫県の出した翼賛選挙回覧ビラの裏紙…

懐かしの旧社中学校の木造校舎と運動場

片付け中に出てきた写真の中に、加東郡社町立社中学校(現加東市立社中学校)の懐かしい木造校舎の写真が出てきました。 私は昭和41年入学44年卒です。現在、社中学校跡地には兵庫教育大学附属幼稚園、小学校、そして官舎などが建っています。そのことを…

ボーイスカウト加東第2団の機関紙『いやさか』-昭和42年

片付けをしていると、いろいろ懐かしいものが出てくるものです。 段ボール箱の底辺りから、4つ折りになったB4判の紙が出てきました。開いてみると、ボーイスカウトの手書きの機関紙、新聞でした。 題名は『いやさか』。1967.12 日本ボーイスカウト…

社の半鐘-ホース干しの風景

自宅で古い資料を整理していると、懐かしい写真も出てきました。その一枚が旧社町役場の一角にあった古い半鐘で消防団員がホース干しをしている風景でした。 加東市社の市街地に旧社町役場がありました。その南西の一角に半鐘があり、火事の度にサイレンが鳴…

昭和52年-赤穂義士275周年中央義士会の案内はがき

17日(日)、自宅で片付けをしていると、一枚のはがきが出てきました。 昭和52年(1977)12月11日豊島の消印があり、当時、東京都板橋区弥生町の醍醐荘に下宿していた私宛てのものでした。差出人は財団法人中央義士会と印刷されていますが、裏書…

平池まつり-躍動

16日(土)、加東市東古瀬にある平池公園で平池夏のフェスティバルが行われました。34回を数え、福田地域づくり協議会を中心として住民手作りの夏まつりとなっています。 地域の園児の歌や合奏、コーラスグループの歌、兵庫教育大学の留学生の歌と太極拳…

昭和16年-家庭用小麦粉配給通知

今日は、昭和16年(1941)の4月に社町長から各区長に出された家庭用小麦の配給に関する通知を紹介します。この8ヶ月後の12月8日には真珠湾攻撃が行われ、大東亜戦争が開戦します。 この通知のあとには、4月30日に各組長に配給された購入券の一…

昭和17年-中入綿の配給、乳児や高齢者優先

昭和17年(1942)、さまざまな物資が不足し配給が行われていましたが、当時の関係書類を綴じた社町社区(現加東市社)の文書綴の中に、丹前などの中に入れる綿の配給に関する通知がありました。 数量が少なく、乳児や高齢者を優先した配給とするよう念…

昭和18年-海苔、北海いか、かなぎちりめんの配給

昭和15年12月から同18年3月までの社町社区事務所の「購入券配給書類綴」の中に、「海苔、北海いか、かなぎちりめんの配給」に関する文書が綴じられています。 こうした海産物もそれぞれ人口割り、戸数割で配給されていたんですね。今の豊かな食糧事情…

昭和18年-家庭用食用油の配給

今日は、昭和18年(1943)の夏、家庭用の食用油の配給に関する通知を紹介します。この通知は、社町社区(現在の加東市社)の昭和18~19年の配給に関する通知文書を綴じた「購入券配給書類綴」に綴じられていたものです。 当時、長引く戦争の下、物…

空の大きな大きなペケ

7日、七夕の夕方。まだ明るい空に大きなペケ(ばってん)が描かれていました。 もちろん飛行機の航跡ですが、あまりに見事なペケだったので、思わずニタリとしながら写真に収めました。 教師時代には「○は大きく、×は小さく」と心得てテストの採点をしてい…

嬉野学徒錬成場の記憶③-軍隊教育

先の大戦中(昭和18年)に嬉野高原(現加東市)に開設された県立嬉野学徒錬成場の歴史を記録写真によって知ることができます。 今、県立嬉野台生涯教育センターで、センターの前身の公民研修所時代、さらにその前身である学徒錬成場時代の歴史資料が展示、…

嬉野青年学徒錬成場の記録②-戦時の国防訓練

昨日に続いて、県立嬉野台生涯教育センターに展示されている、同センターの起源でもある戦前の県立嬉野学徒錬成場時代の写真を紹介します。 昭和18年(1943)に竣工した錬成場では、県下の青年学徒が国防訓練や航空技術の訓練などを行いました。そのよ…

嬉野台生涯教育センターの歴史を知る展示①グライダー滑空訓練

7日(木)の午後、県立嬉野台生涯教育センターを訪れました。神戸新聞に同センターの歴史を物語る古い写真や資料が展示されているとの記事が掲載され、ぜひ見てみたいと思っていました。 耐震工事による改修で空いた本館の玄関スペースを活用して展示されて…

今朝もトンボ-佐保神社裏で

7日の朝、ウォーキングの途中、佐保神社での参拝をすませ、北へ出たところの民家のブロック塀にトンボがとまるのを発見しました。さっそくカメラを取り出し、近づいてシャッターを押しました。 阪神タイガースのような黒地に胴体が黄色の目立つ色のトンボで…

今朝もトンボ-佐保神社裏で

7日の朝、ウォーキングの途中、佐保神社での参拝をすませ、北へ出たところの民家のブロック塀にトンボがとまるのを発見しました。さっそくカメラを取り出し、近づいてシャッターを押しました。 阪神タイガースのような黒地に胴体が黄色の目立つ色のトンボで…

庭の甕にシオカラトンボ

6日(水)、日中は、梅雨明けのような強い日射しで、玄関西のゴーヤのカーテンも黄色い花が点々とつき始めました。 ふと見ると、庭においてある甕の口のふちにトンボがとまっていました。シオカラトンボです。この間も裏の庭で姿を見ましたが、今日は、表に…

昭和18年-農村用地下足袋の配給

今日は昭和18年(1943)の社町社区(現加東市社)の「購入券配給書類 第貳号」に綴じられていた農村用地下足袋の配給に関する資料を紹介します。 以前にも地下足袋配給についての通知を紹介したことがありますが、今日は12月に出されたものです。 1…

ヒラドツツジにスズメバチの巣が

3日(日)の朝、時間を見つけて庭のヒラドツツジの剪定をしていると、突然ブーンという羽音とともにスズメバチが数匹、攻撃ヘリコプターのように飛び上がったかと思うと私をめがけてストレートに向かってきました。咄嗟に身をかわし、飛んで逃げました。 防…

七夕飾りと田圃のカエル

2日(土)の夕方、加東市山国の椿山保育園の七夕まつりを覗きました。 梅雨の晴れ間で昼間は熱中症の注意が必要なぐらいの暑さになりました、日が沈んだあとは、周囲を田圃に囲まれて高台にある園の運動場には、涼しい風が吹きました。 その風に七夕飾りが…

緑のカーテン成長中-軒まで伸びて

わが家の玄関西の出窓に作ったゴーヤの緑のカーテンのゴーヤが順調に成長しています。5月末の加東市花と緑のフェスティバルで加東エコ隊からいただいた苗3本と、小野市内の保育園の園長をしている友人からもらったゴーヤの苗4本の計7本です。 エコ隊の3…

昭和19年-軍手の配給

NHK朝の連ドラ「トト姉ちゃん」は、今、戦時統制下の東京が舞台。昭和20年3月10日の東京大空襲の翌日、配給は行われていませんでした。小橋一家はどうなってしまうのか、心配ですが、あの組長と国防婦人会らしき2人の女性の態度は余りにひどすぎな…