ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2006-09-01から1ヶ月間の記事一覧

天皇皇后両陛下の奉迎

三木市に天皇皇后両陛下 今日の午後、三木市の兵庫県広域防災センターをご覧になった天皇皇后両陛下の奉迎に参加してきました。 兵庫県消防学校の正門前の道路の歩道には、地元の町内会の人々約100人が両陛下の奉迎をしました。人々の手には日の丸の小旗…

大正12年-太陽暦励行について

区長会で太陽暦励行を 大正12年(1923)、社区の区長会で「陽暦励行」について協議されています。 ところで、わが国で太陽暦が採用されたのは明治5年(1872)のことでした。この年の12月3日を明治6年の1月1日とし、昼夜12時制を1日24…

彼岸花

鮮やかに秋に映える 今年も彼岸花が咲きました。「今年は咲かへんのかなと心配しとったけど、彼岸になったらちゃんと咲きだした。なんか不思議やな」とお年寄りが語っていました。 鮮やかな赤い花と刈り取られた田圃の藁の黄色、そして畦の草の緑が青く澄み…

上組太鼓の練習始まる

よーいとさのね・・・ 25日夜7時30分、上組太鼓藏では、保存会の若い衆(若鯱会)が屋台の飾り付けや乗り子の子ども達の指導にあたっていました。上組の太鼓の練習が始まったのです。 若鯱会の若者は藏の二階で綱の飾り付けを、そして藏の前では、ベテ…

上組-太鼓藏開き

担ぎ棒などを新調 今日9月24日、平成18年の佐保神社秋祭(10月14.15日)に向けて社上組の太鼓屋台の藏開きが行われました。 今年は担ぎ棒や柱などを新調する大きな修理を行い、先日完成して藏に納められたばかりで、今日の藏開きがいわばお披露…

昭和12年-女学校で開催された学芸展覧会

展示会場の図 昭和12年(1937)、県立社高等女学校(社高等学校の前身)で開催された学芸展覧会の案内が手元にあります。内容は、次の通りです。 とき 2月27日(土)、28日(日)午前9時より午後4時迄 どなた様もぜひご覧下さい。お待ちいたし…

清水寺の思い出

大塔から瀬戸内の海を見た この写真を見て下さい。手前は御獄山の山頂にある清水寺の根本中堂です。その向こうの奥の階段の上に塔の屋根が写っています。これが清水寺の大塔です。今はもうありませんが、とても大きく立派な堂々とした塔でした。 私が社小学…

昭和13年-国民精神総動員

約70年前の国民生活 今から69年前の昭和12年(1937)、盧溝橋事件が起こり、日本と中国の間に戦争状態が始まりました。10月には国民精神総動員中央連盟が設立され、さらに翌13年4月には国家総動員法が公布され、わが国は戦時体制へと突入して…

銃後の便り-2

小国民のふるさと便り 昨日に続いて、「銃後の便り」に掲載されている「小国民より」と題した小学生から戦地の兵隊さんへの便りを掲載します。 初等科第六学年一組 中嶋邦夫 暑くも寒くもないこの季節。内地は、今、猫の子の手もかりたい程いそがしい稲刈の…

銃後の守り-小国民のふるさとだより

「銃後の便り」-社町銃後奉公会- 昭和17年10月 昭和17年に発行された「銃後の便り 十月」社町銃後奉公会、なる印刷物が手元にあります。大東亜戦争開戦後1年近く経った頃のものです。わら半紙に青インクの謄写版印刷されたもので、B4判紙を2つ折…

兵庫陶芸美術館に行ってきました

特別展 「人間国宝 松井康成の全貌」 立杭といえば、日本六古窯の一つに数えられる丹波立杭焼の里で知られています。合併によって今では、篠山市今田町となっています。 さて、この立杭に県立の兵庫陶芸美術館があります。去年の10月にオープンしたとのこ…

硬貨もお国のために・・・

硬貨の引換で戦争を勝ち抜く! またもや一枚のビラを紹介しましょう。昭和17年末に出されたものですが、軍需資材の確保のために、政府は銅やアルミなどの金属でつくられた硬貨を回収しようとしたものです。 ビラは、銅貨、白銅貨、ニッケル貨の引換えを呼…

昭和18年-貯蓄で勝利をめざせ!

270億貯蓄総進軍-加東郡北部大会のビラより 昭和18年7月15日、「270億貯蓄総進軍加東郡北部大会」が開かれました。その時のビラがあります。(写真) 表は加東地方事務所長から加東郡民への呼び掛けが、表はスローガンと隣保回覧認印欄が印刷さ…

八志路幼稚園

八志路幼稚園 八志路幼稚園は大正時代に設立され、昭和53年まで続いた清水寺の経営する私立幼稚園です。 この写真は昭和前期の頃のもので、今はない懐かしい園舎が写っています。 幼稚園があった場所は、田町から社小学校へと延びる学校道の中間点あたりを…

道池の道標

今は地蔵さんの門柱 社の田町通りの東端にある法蓮寺のすぐ東隣に道池地蔵尊があります。その門柱をよく見ると道標であることがわかります。 「左 きよみず道」「右 大さかみち」と刻まれています。高さは1メートル余りのこの道標は、もとは道池があったこ…

道池があった頃

道池がある風景 昭和30年代のはじめの頃の写真がありました。広報「やしろ」縮刷版に掲載してあったものです。社町合併一、二年後の社市街地の風景です。 この写真は、嬉野台地の西端、今の中央公園あたりから見たものですが、珍しい風景が写っています。 …

昭和13年4月の社区長会

靖国神社臨時大祭と遙拝式のこと 今年の終戦記念日は小泉首相の靖国神社参拝が大きなニュースとして報じられました。 さて、手元に戦前の昭和13年4月(1938年)の社区の区長会の議案書があります。その第一議題が「靖国神社臨時大祭ニ付黙祷及遙拝式…

74年前の社小学校の運動会

全国的に運動会シーズンですが、私達の小さい頃、運動会といえば10月だったような気がします。最近は小、中学校とも、9月に開催していますね。まだ暑いし、やはり爽やかな空気の10月がいいかなとも思います。 さて、ここに昭和7年(1932)の社尋常…

大正3年-陸大生の演習と社町

宮様が社にご宿泊 大正3年(1914)10月24日付の神戸又新日報(ゆうしん)にこんな見出しの記事がありました。 「両殿下見学と社町」 両殿下とは朝香宮と東久邇宮の両殿下です。両殿下は陸軍大学生の資格(大尉)で演習を見学されたということでした…

大正14年の新聞より

上中の杜の話 大正14年5月21日付の神戸又新日報(こうべゆうしんにっぽう)にこんな記事が出ているので紹介しましょう。 上中地区の西の田圃の中にこんもりと木が繁った小さな杜がある。昔からあったものだけに、その周囲を耕すお百姓さんにとっては迷…

大正2年の新聞広告より

播州鉄道加古川、西脇間開通記念の広告より 大正2年8月10日、播州鉄道の国包、西脇区間が開通したことにより、加古川から西脇までがつながりました。その広告が当時の大阪朝日新聞神戸附録に掲載されています。 西脇始発の一番列車は午前5時57分発、…

昭和9年-皇太子御降誕記念

親王殿下ご誕生の日に 今日、9月6日朝、秋篠宮家に親王殿下が誕生されました。待望の男のお子様の誕生であります。 さて、国道372号線(社環状線)が学園道路と交差する嬉野口の社中央公園の一画に、小高い植え込みがあり、その真ん中に石柱が立ってい…

社の郵便局

郵便局の足あと 社郵便局は現在道池交差点北にあります。ここはもと牛市場のあったところで、ここに新築移転してきたのです。 それ以前は、社四区にある「やしろ児童公園」(写真)の場所にありました。さらにそれ以前はというと、今の社町商工会館の北側に…

金属供出のビラ

戦争の記憶 現在、みなと銀行社支店がある場所には、かつて社警察署の建物がありました。戦時中、その鉄製の窓枠を供出することになり、かわりに木製の窓枠が作られたと聞きました。 ところで、今日掲載したビラは、兵庫県が作成したもので隣保回覧用のもの…

郡役所の写真

加東郡の郡役所 この郷土史ブログで「加東郡の郡役所」(6月)について書きましたが、その時には郡役所があった今の社市街地の一区コミュニティセンター辺りの写真を掲載しました。 今日は郡役所の建物の写真を掲載します。古老に見てもらつたところ、「間…

関西電力

関西電力の前身・・・ この写真の木造の建物は、関西電力です。現在のビルが建つ前にあったのがこの建物です。 関西電力は昭和26年に発足していますので、この写真は、前身である関西配電(昭和16年設立)時代のものか、あるいはもっと以前のものかもし…

社銀行

社銀行 この写真の建物は、社銀行本店です。社銀行はあとに書いていますが、合併や時代によって名が変わっていきます。この写真がいつのものかはっきりしないのですが、昭和初期のものだとすると、社銀行、もしくは東播合同銀行の頃のものだということになり…