ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2011-06-01から1ヶ月間の記事一覧

清水寺⑩-南朝忠臣赤松氏範-細川との戦い

清水寺に立てこもった赤松氏範を攻め切れず、山名氏清が京都に軍勢を引いたあと、かわって細川頼元の三百余騎が勢いこんで攻めてきました。 赤松勢は少数ながらこれを防ぎ、細川勢は鴨川(加東市鴨川)まで退き、赤松勢は大講堂へと引き返しました。これを口…

清水寺⑨-南朝忠臣赤松氏範-清水坂の戦い

しばらくぶりの投稿です。清水寺(加東市平木)の赤松氏範についての話の途中で投稿が止まっていましたが、復活します。少年の頃、「太平記」のヒーロー楠木正成の縦横無尽の活躍に心をおどらせていましたが、赤松氏範が立てこもった清水寺での戦い、清水坂…

清水寺⑧-南朝忠臣赤松氏範その2

「清水寺誌」(昭和32年刊)に福原会下山人(ふくはらえげさんじん)による「清水史蹟赤松氏範」が掲載されています。福原会下山人は明治3年(1870)篠山町生まれの郷土史研究者。その山人が書かれたものを同誌に再録したとあります。前文には次のよ…

光明寺への道

加東市役所滝野庁舎がある五峰山の南山麓の高台には、県立播磨中央公園、滝野文化会館、滝野公民館、滝野図書館などが一ヶ所に集中し、そこに立てば、東から南にかけて、遠く六甲連山、播磨平野、加古川の流れが一望できます。図書館には郷土資料コーナーが…

清水寺⑦-南朝忠臣赤松氏範物語その1

清水寺への自動車登山道路をほぼ登りきり、山門前の駐車場に入ろうとする所に、1本の石柱が立っています。 標柱には、「史蹟 南朝忠臣赤松氏範父子一族憤死・・・」と刻まれており、下部は土中に埋まっていて読めませんが、側面には「昭和六年九月二日建立 …

清水寺⑥-坂上田村麻呂と清水寺

蝦夷征伐で知られる征夷大将軍の坂上田村麻呂(麿)は、平安時代、9世紀のはじめの頃の人ですが、この坂上田村麻呂が御嶽山清水寺に丹波路を毎月参詣して、蝦夷征伐や鈴鹿山の鬼退治に観世音菩薩の霊験で勝ったことに感謝して佩刀を奉納したと伝えられ、こ…