2007-03-01から1ヶ月間の記事一覧
加東市新町の旧市街の南端に近いところ、古い民家の倉庫のそばに立派な道標が立っています。 明治45年1月(1912)建立と刻まれていますから、今からおよそ90年余り前に立てられたものです。 三面には「左 やしろ 明石 高砂」「右 きたの 大門 粟生…
加東市多井田の集落のほぼ中心、高台に「多井田のお薬師さん」と呼ばれ親しまれている薬師堂があり、薬師如来像が安置されています。お堂は、平成17年に約300年ぶりに再建されたお堂はまぶしいぐらいまっさらです(写真)。 このお薬師さんは、皮膚病に…
加東市上鴨川の集落の東、国道372号線沿いに一本の道標が立っています(写真)。背の高い道標に深々と大きな文字が刻んであるのでよく目立ちます。 「左 京 いせ ふるいち ささやま」「右 きよ水 三田 大阪」「左 ほつけ山 や志ろ たきの」と刻まれていま…
3月22日、『社町商工会史』が発刊されました。今年4月加東市商工会の発足に伴って、社町商工会がその幕を閉じることになり、46年の歴史をこの一冊にまとめたものです。私も学識経験者の一人として執筆をさせていただいていたので完成を楽しみにしてい…
加東市稲尾を東西に走る道沿いに一本の道標が立っています。 道標の上の方に人差し指で行き先を示した手が浮き彫りにしてあり、「へんろみち」「加東四国」の文字が読みとれることから、加東四国八十八ヶ所霊場巡りの道標であることがわかります。 この指さ…
加東市上三草の公民館から少し南、道路脇に一本の道標が立っています(写真)。 自然石の前を削って平らにし、字が刻んであります。「右 大さか」「左 きよ水」と読めます。この道を車で走ることも多く、いつも気になっていたのですが、天気もよく時間のゆと…
今朝、加東市社から木梨方面に向かって伸びる道を走っていると、東の空に一条の光の筋が立ちのぼっていました。やがて、オレンジ色に輝く光の筋の根元をきらきらとまぶしい光に変えながらぐぐーんと太陽が昇ってきたのです。日の出の荘厳な光景に思わず立ち…
加東市社の中心、市街地にあって、ひときわ高くそびえ、遠方からでもよく見えるのが関西電力の鉄塔です。写真は市街地の新池の堤から撮影したものです。 加古川の東には、河岸段丘の地形が発達しており、市街地は中位段丘とよばれる台地になっています。昨日…
加東市鳥居にある石造鳥居を紹介しましたが、その一画に道標が立っています(写真)。 「東社マデ八丁」と刻まれていますので、この鳥居の位置を示していることは間違いありません。また、「右 きよみず」「左 ほつけ山」と刻まれており、京街道筋にあったこ…
加東市鳥居の集落の西端に近い旧道脇に大きな石の鳥居が立っています(写真)。この石造鳥居が「鳥居」という地名の由来になったといわれています。 鎌倉時代、尼将軍といわれた北条政子は佐保神社の社殿を造営し、八丁四方、一里四方に計八基の檜木造の鳥居…
加東市西垂水の集落から少し南に行ったところに小さな祠があります。圃場整備のために場所が変わり今の地に移された(昭和56年)と聞きましたが、元は西垂水の集落の東にありました。 この祠は立明明神(たちあかしみょうじん)といいます。この名の由来は…
善龍院 加東市社の善龍院には旧社町で最も古いとされている道標があります。寶暦12年(1762)の建立で、「右きよみず」「左ほつけさん」と刻まれています。 そばにもう一本、円柱の道標が立っています(写真)。同じように、「右きよみず」「左ほつけ…
車を走らせていると、道路脇に立っている石柱や石灯籠、石鳥居などが目に飛びこんでくることが多い。今日も加東市東実の村の中の道をゆっくりと走っていると、曲がり角に小さな道標を見つけました。さっそく車を止めて、写真を撮り、刻まれている文字を読み…
加東市上中(かみなか)は隣接の喜田とともに滝野社インターの南、旧社町側に位置する地域で、急速に市街化が進んでいます。 年輩の人は上中を中村と呼びます。この中村がかつてこの地方の中心に位置した村であったことがわかります。 県道西脇三田線と旧国…
加東市長貞の貞守地区に石灯籠が高くそびえています。 日も沈み、薄暗くなってきた頃だったので、昔はここに灯が入れられ、道行く人の目印になっただろうか、などと思ってしまいました。 しかし、なぜ、このようなところに石灯籠があるのかと思い、近くにお…
加東市の嬉野台地を東西に走る県道が、兵庫教育大学や嬉野台生涯教育センターへ入る道路と分かれる地点に道標が立っています。 ここには依藤野開墾記念碑も建っているのですが、道路からは樹木の陰になりよく見えません。道標はお地蔵さんの隣りに立っていま…
加東市の中央に広がる嬉野台地。この台地を東西に走る県道沿い、神姫バス停車場のすぐ脇に一本の道標が立っています。 道標には「右 木なし 新まち」「左 やしろ みち」と刻まれています。東条方面から来ると、ここで社方面にそのまま向かう道と木梨、新町方…
昨日紹介した依藤野の道標のすぐ脇に卵形の丸い石の一部が割れてなくなったような石が置いてありました。近寄ってよく見てみると、道標でした(写真)。 「右 大ぶかみち」「左 大さかミち」と読めます。大阪道(社村から嬉野を通り東条から大阪方面に通じる…
社から嬉野を通り、東条へ通じる県道を走っていると、依藤野の大きな坂にさしかかるカーブに一本の道標が立っています。 林の中の少し高い位置に、しかも大きな字が刻んである石柱なのでよく目立ちます。 「右 神谷山」「左 大さか」。「神谷山」は「こうだ…
講堂と西校舎 これは社小学校の講堂と西校舎の写真です。撮影時期は昭和前半だと思われます。ただ、私が小学生時代を送った昭和30年代末から40年代はじめも同じ風景だったと思います。 私は3年生、4年生をこの校舎で過ごしました。3年生は写真正面の…
東西南北 加東市の出水から福吉へ通じる旧道を行くと、東西南北に道が交わる角に一本の道標が立っていました(写真)。 明治29年8月(1896)建立とありますので、日清戦争直後、今から約110年前に建てられたことがわかります。 四面に地名が刻まれ…
加東市木梨の、旧京街道を公民館を過ぎて、さらに北に向かって歩いていると、曲がり角に立っている道標が目に飛び込んできます(写真)。 下半分は写真のように金具で補強されています。建立年は嘉永元年(1848)で、約160年前のものです。 表面には…