2024-10-01から1ヶ月間の記事一覧
小さい頃、昭和30年代はじめ頃のことだと思います。今の加東市社の田町通りの北側の一角に牛市場がありました。現在は北播磨建設業組合、社三区集会所がある所です。 毎月4のつく日、4日、14日、24日だったと思いますが、牛のせり市が行われていまし…
今日も古い習字帖を紹介します。明治27年(1894)発行の『高等小學 國民習字帖 第三』です。今から130年前のもので、発行は神戸市元町の船井弘文堂となっています。 前半は楷書日用文字、後半が行書日用文字の構成になっています。今日は行書の手本…
今日も古い習字の手本を紹介します。明治21年(1888)発行の小學習字帖です。開いてみると、実用的な字句が次々と出てきます。それらは、そのまま当時の社会のようすを表しており、小学生でこうした言葉を読んだり、書いたりしながら、社会生活への導…
昨日に続いて、明治時代の小学校で使用されていた習字の教科書を紹介します。 明治34年(1901)発行の高等小學校用『國語習字帖』巻一です。この手本も地元の方からいただいたもので、実際に社尋常高等小学校の一学年で使われていたものです。20世紀…
今日も地元の方からいただいた古い教科書を紹介します。明治20年(1887)出版の習字の手本です。 『小學習字帖』巻六。発行所は金港堂書籍会社(東京市日本橋区本町)。この習字帖は、当時、社の尋常小学校に通っていた方が実際に使用されていたもので…
昭和50年代前半に大学を卒業して帰郷し、教員生活を始めた頃だったと思いますが、よく知った近所のおじさんから、旧制中学校時代に使った教科書をいただきました。 そのうちの一冊が昭和13年2月文部省検定済の『新制準拠 昭和中學修身書 巻二』(永澤金…
一昨日紹介した戦前の青年団員向けの機関誌『青年』昭和14年2月号の目次を紹介します。 230頁の内容を見ると、対談や座談会、前線部隊から銃後の青年への軍人の言葉、青年に聞かせたい話、時事問題、青年団の活動、小説など盛り沢山の内容になっていま…
20日(日)、前日の雨は上がり、天気は回復したものの寒い風が吹き、一気に気温が下がりました。 加東市の中央に広がる嬉野台地の東端にある安政池の畔を流れる東条川疏水の幹線水路で「水路deボート探検」のイベントが開催されました。 このイベントは…
地元の方からいただいた古い本の中に、昭和14年(1939)の雑誌がありました。 表紙は、青空を背景に名古屋城(戦前)と梅の花の写真、そして「青年」の赤い題字、右上に日の丸の籏が目立ちます。これは、日本青年館が発行していた全国の青年団員向けの…
地元の方からいただいた古い教科書の中に、明治26年(1893)発行の『新撰高等小學讀本巻一』があります.東京府下谷区の育英舎の編纂によるものです。その中の第三に「早起」と題された一文がありました。作者は貝原篤信とあり、江戸時代の儒学者でし…
17日(木)は、スーパームーンでしたが、残念ながら雲が出て見ることはできませんでした。今年一番月が大きく見えるという日でしたが、その前夜、16日(水)の午後6時20分頃、神戸市からの帰路、加東市の嬉野で車を停めて東の空に浮かぶ月を眺めまし…
昨日紹介した兵庫県庁別館前の明治天皇臨幸記念碑の背面に刻まれた建立の記を紹介します。 16日(水)、県庁内での会議が終わったあと、もう一度記念碑を確かめに行きました。碑の背面の狭い空間に回り、建立の記を読みました。明治天皇が県庁、裁判所、師…
兵庫県庁別館と県警本部の間の道路沿いの植え込みの中に大きな石碑が立っています(写真)。 正面には、明治天皇臨幸記念碑と刻まれています。背後に植え込みがあり、回り込んで裏側の写真を撮るのが難しく、建立年月日などは読み取れませんでした。 あとで…
過日、神戸市内で神戸華僑総会、中華民国建国113年国慶日の祝賀行事に出席しました。台湾と神戸は孫文を通して関係が深く、大アジア主義の演説場所、移情閣など歴史を伝えるものも多くあります。 中華民国13年(1924)11月28日、神戸商業会議所…
13日(日)、朝から雲一つない青い空が広がっていました。その秋の日を受けて、上組太鼓屋台は全身がまぶしく輝いていました。 今日は佐保神社秋祭りの本宮でした。朝9時、屋台倉を出発して町内を巡行。途中休憩を入れながら、恒例の子供曳きが行われ、ち…
12日(土)は、令和6年の佐保神社秋祭りの宵宮でした。午後3時には、加東市社の上組太鼓屋台倉で安全祈願の神事が執り行われ、屋台の倉出し、巡行が始まりました。 3時30分に倉を出発し、社市街地の上組の地区内(1区、2区、3区)を巡行しました。…
11日(金)の夜、加東市社の上組太鼓屋台倉で、佐保神社秋祭りの上組前夜祭が行われました。明日12日0は宵宮、午後3時から町内巡行、明後日13日は本宮で、朝から町内巡行、午後1時から宮入りが行われます。 前夜祭は、上組地区の皆さんに太鼓屋台の…
10日(木)の午後6時過ぎ、事務所から自宅に戻るとき、南の空に月が明るく光っていました。2階の南向きのベランダに出て、街の家々の屋根の上の空に光る月を眺めました。 すでに日は沈み、西の空はもうすぐ残る明るさも消えそうになって、社の街のランド…
地元の旧家からいただいた古いチラシの中に、昭和5年(1930)の中国(当時は中華民国。支那と呼んでいた)東沿岸の北平(今の北京)、上海の視察旅行の相談(計画)案内がありました。主催は日本旅行会事務所で、東海道草津駅に置かれています。現在あ…
運動会のシーズンが終わり、秋祭りが始まりました。運動会を参観する度に、教員時代のことを思い出します。 昭和57年(1982)4月、加東郡社町山国(現加東市山国)に国立兵庫教育大学学校教育学部附属中学校(現在の校名は兵庫教育大学附属中学校)が…
「この頃、庭の木の間を素早く飛び回るものがいる」と妻がよく話していたのですが、その正体がメジロだと判かりました。 まだ木の葉が多く、枝から枝へと素早くとびまわるものですから、姿を見つけられずにいたのですが、揺れる柿の木の枝と葉を見つけ、カメ…
6日(日)、秋晴れの下、加東市内の神社、地区で秋祭りが行われました。そのうち、高岡地区と上滝野地区の秋祭りを訪れました。高岡地区は高岡稲荷神社、上滝野地区は春日神社で、太鼓屋台の宮入りや獅子舞などが奉納され、秋の実りに感謝し、地区の発展、…
10月の第一土日の5、6日、加東市内の神社では、秋祭りが始まりました。創建1100年余りの長い歴史を持つ木梨神社では、氏子地区のうち、藤田、下三草地区の宵宮行事が5年ぶりに行われました。午後7時、幟が立てられた境内の舞殿前に地区の老若男女…
4日(金)の夕方、午後5時30分過ぎのことでした。市内の眼科医で診察を受け、帰宅する途中に、加東市のバスターミナル近くのわが家の田圃の農道に車を停めて、夕景を眺めていました。 この場所から望む夕景は、西の青野ケ原台地の地平線に沈む夕日と広い…
朝のウォーキングで、佐保神社に参拝します。本殿。境内の小宮の御大神宮、恵比寿神社にお参りして、西浦方面に抜けていきます。西浦には、若宮神社があり、さらに新池の堤を通り、持寶院の大師殿へと続いています。 佐保神社の本殿は現在修復工事が行われて…
1日(火)の夜、加東市社の上組屋台倉で行われている太鼓の練習と屋台の飾り付けのようすを見に行きました。 すでに9月の中旬から飾り付けが、そして24日から乗り子の子供達の太鼓練習が始まっています。社には、上組、下組の2台の太鼓屋台があり、佐保…
加東市社の市街地を取り巻く環状道路と田町筋が交わる交差点が道池交差点です。かつて、この地には、道池(または三ツ池)という大きなため池がありました。幼い頃の記憶に池の堤の道を通って百旗墓地に歩いていったような記憶があるのですが、そのため池が…
30日(月)、久しぶりに、朝、ウォーキングで社中央公園を歩きました。金屋谷池の堤を利用した傾斜面の桜の道には、落ち葉が重なるように落ちて、秋をを感じました。 堤に上がり、周囲を歩いていると、池の水位が大きく下がり、普段目にすることのないよう…