
旧社町(現在の加東市立社小学校区域)時代の社区の文書が綴られている『大正15年 雑書綴 社町社』の中に、評議員・参与員会の協議事項の項目を書いたメモが綴じられています。
そこには、県立社高等女学校の負担金の件、池の埋立、病院設置案、溜池築造の件など、重要なことがらが協議されていたことがわかります。社高女は郡立から県立移管の際に小野から社へ移転新築されましたが(大正11年)、社が大きな地元負担をしており、その負担金が完結した、ということでしょう。慰労会開催の提案は賛成されています。また、新池埋立の件も通過、と書き込みがありますが、現在の関西電力社営業所の位置が埋め立て地です。カラクニ谷溜池の件とは、昭和池築造のことで、大正13年の大旱魃のあと、三草山の麓のカラクニ谷に巨大な土堰堤を築いて溜池をつくるという計画です。このような後の時代の発展の基盤となるさまざまな重要案件が協議されていたんだなとあらためて郷土の先人のまちづくりへの尽力に思いを馳せることになりました。写真は昭和池です。
メモは次の通りです。
大正拾五年十二月九日評議員会及参与員会
協議事項
一、女学校負担金完結報告並ニ慰労会ノ件 賛成
一、新池埋立ノ件 通過ス
一、当町ニ病院設置ノ件
一、等級原案作製ノ際ノ委員選定ノ件
一、奨励金改正ノ件
一、カラクニ谷溜池ノ件