
佐保神社(加東市社)の境内、拝殿前の石燈籠に松尾新十郎の名が刻まれています。朝、参拝をすませて拝殿の階段を下り、西側に抜けるとき、必ず目に入ります。慶應四年九月と刻まれていますから、1868年(明治元年)、今から143年前のことです。
燈籠の側面に碑文があり、松尾久林が先祖である松尾貞良の敬神の志を継いで奉献するといった内容が書いてあります。
『新修加東郡誌』によると、松尾新十郎貞良は宝暦13年(1763)生まれで、天保15年(1844)にこの世を去っています。松尾家は北野(現加東市北野)の廻漕問屋で、新十郎の代にますます家業を広げてその名を知られたとのことです。新十郎は家業だけでなく、世のため人のために、公共につくしました。北播磨一円の神社仏閣への寄進、橋梁の架設、争いの仲介などを行い、佐保神社にも小宮、神刀、石燈籠などを寄進しています。晩年は蜷子野新田(現加東市稲尾)の再開発という大事業に取り組んでいます。還暦の祝いの費用を節約して米を近隣の村々の貧しい人々に分け与えたり、飢饉の時には代官所へ申し出て米を買い、ただ同然の値で貧しい人々に売り渡したといった話もあります。佐保神社の拝殿前の石燈籠に刻まれた松尾新十郎の名を見るたびに生涯を通して地域の繁栄と人々の幸福のために尽くした生き方に思いを馳せることになります。