ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和14年-郷土出身兵の遺骨出迎え

 支那事変勃発から3年目を迎える昭和14年(1939)1月末、当時の加東郡社町出身の兵士が遺骨で無言の凱旋をしています。その通知が当時の社区事務所の諸通達綴に綴じられています。
 通知には出迎えの場所を示した略図が添えられており、柏木病院(佐保神社の坂下)から、三階交差点、そして社市街のコースに各団体等の配置が書かれていました。
 遺族、葬儀委員、官公衙、町会、国防婦人会、女子青年団在郷軍人会、消防組、涌羅野塾、女学校生徒、小学生、青年学校女子部、有隣家政女学校などの名前があります。


 昭和十四年一月二十八日

            社 町 長

官衙長殿
〃区長殿
〃町会議員殿
〃学校団体長殿

  遺骨出迎ヘニ関スル件

社町出身故陸軍歩兵曹長 伊藤武雄君ノ遺骨左記ノ通リ無言ノ凱旋被遊候条万障御繰合セノ上御出迎ヘ相成度及通牒候也

   記

一月三十日 午後一時三十分  社 坂ノ下 柏木病院前着