昭和7年(1932)2月、天理教青年会の社支会長、同婦人会の社委員部長名で天理教教会本部への団体参拝と見学への協力願が当時の社区長文書綴に綴じられています。今日はその協力依頼文を紹介します。
粛白 旧春の砌 貴兄姉益々御勇健の御状邦家の為め大慶至極に奉存候
扨て別記の如く兵庫県下に於て二〇〇〇〇名団体を組織し、参拝と見学を計画致し居り候 現下 皇国の多端なる折柄、一層心身の剛健と真実を要することに有之候得ば御協賛、共々右団体に御参加被成下様御願申上げ度く存じ候に就ては、貴下はじめ役員諸彦の御配慮と御援助を賜はり度く御願申上ぐる次第に御座候
追伸 本文書に於ては日程の概要と既決の事項を申上ぐる事にて、乗車賃金、発着時刻等詳細は近々御報申上げ候へ共最低額を以つて万全を期すべく候
団体に関する御問合せ、打合せ等は御報知被下次第直ちに係員御伺ひ申上候間御力添へ希上候、尚ほ御希望の点有之候はばお聞せ被下度候
昭和七年二月 日
天理教青年会
社 支会長 市 枝 定 雄
天理教婦人会
社 委員部長 市 枝 そ の