田植えの頃になると懐かしく思い出すシーンがあります。年々懐かしさが深くなっていくのは年齢のせいでしょうか。
母親の実家が農家だったので、田植え、稲刈りの農繁期には母に連れられて泊まり込みで手伝いに行きました。保育園の頃、小学生の頃、それぞれの年代の思い出があります。
まず脳裏に浮かんでくるのは苗代。家の前の田圃の一角につくられ田苗代で稲の苗を作り、田植えになると、苗を引いて適当な束にまとめて一くくりにします。
それを何束もかごに入れて天秤棒の前後につるし、歩いて田圃に運びました。田圃に着くと、畦を歩いて、苗を植えている人の少し後方に投げ入れます。
前後に腕を振りながら反動をつけて放り投げるのです。植えている人は、手持ちの苗を植え終わったころに投げ入れられた苗を手に入れることができるようにします。巨人軍の選手・監督だった川上哲冶さんは、子供の頃に苗取りをして手首(スナップ)が強くなったとよく聞きました。
次に浮かんでくるのは、牛が田植え前の代かきで頑張っていた光景です。牛が曳いていく板の上に人が乗ってあやつり、泥田をならしていく光景はおもしろくて見飽きませんでした。泥の中を一歩一歩進んでいく牛の力に感心して見入っていたことを覚えています。
あの頃の農家の構造は、母屋と牛小屋がつながっており、土間からつながる同じ屋根の下に牛がいました。おじいさんが押し切りで麦ワラを切り、麦か何か炊いたものをエサとしてやると、牛が横棒の間から頭を出してきて、鼻息がかかるほどの近さで、大きな目玉と舌が目の前に動くようすは今もありありと思い出すことができます。
家の前の庭には牛をつなぐ杭があり、牛のおしりにこびりついた乾いたうんこを剣山のようなたわしで落とします。私のような子供がやると、牛は首を後ろに曲げて、その大きな目でぎろっと睨みつけるのでした。時には、しっぽでぱちんとたたかれそうになったこともありました。とにかく大きな牛の存在感はすごいものでした。
村の細道を牛が散歩している光景も浮かんできます。うしろにむちをもったおじいさんがついて歩いています。今思い出すと何とものどかな光景です。しかし、ときには牛が走る姿も見たような気がしますが定かではありません。
何しろ、牛はなかなかのもので、おじいさんのいうことはききますが、若い者が下手な指示をすると、田圃のど真ん中でまったく動かなくなることもあったとか。なめているんですね。
小さい頃の思い出ですから不確かなこともありますが、妙に脳裏に焼き付いて浮かんでくるシーンがこうした思い出の場面です。懐かしくて、もう半世紀以上前のことだとは思えません。
今日は思い出話でした。