
平成30年(2018)は、兵庫県ができてから150年にあたります。今の兵庫県の形(県域)になったのは明治9年ですが、ルーツを辿れば150年前の慶応4年(1868)5月23日(旧暦、新暦では7月12日)に伊藤博文が兵庫県知事に任命され兵庫県が置かれた時点を兵庫県立県の時としているわけです。
伊藤博文は当時、兵庫裁判所(旧幕府領を治める役所)の役人で若干26歳の若さで知事に昇進しています。
さて、その兵庫裁判所のトップは東久世通禧(ひがしくざみちとみ)でしたが、慶応4年の1月11日に起きた神戸事件の処理、すなわち三宮神社前を通過していた岡山の備前藩の隊列の前を横切ったフランスの水兵を斬りつけた事件をめぐる交渉が大きな役割でした。横浜の生麦事件とともに開港したばかりのわが国で起きた重大な外交事件でしたが、東久世とともに伊藤博文らが交渉にあたっています。
この東久世通禧はその後横浜裁判所に転任し、トップ不在のなか、5月23日に伊藤博文が初代兵庫県知事に任命されたわけです。在任期間は11ヶ月。のちに初代総理大臣となり、枢密院議長として大日本帝国憲法の制定など明治日本を創り上げていくことになります。
神戸事件の現場、三宮神社は大丸神戸店の北、西国街道に面し、トアロードの南端にあたる所にあります。兵庫県政150周年の今年、三宮神社を訪れ参拝してきました。