
今日も引き続き、「孝女ふさ」の話を紹介します。
(5)孝子主家に飯粒を集む
ふさ女の主家は上三草村の定右衛門(定右衛門五代の孫太郎兵衛は今尚ほ生存)の家である。ふさ女は,主家の厨房を整頓し、心なき家人朋輩等の飯粒を流し先に散佚(さんいつ)せしむるを見て、常に笊(ざる)を以て悉く之を拾い集め、日に乾して、糒(ほしいい)を作ったという。当時、米価昂騰、天下飢饉を訴う.一般雇人等の主家から受くる給米の如きも非常に減ぜられ、困難を感じたのであろう。ふさ女の飯粒を集めしその心懸に感激の至りである。
ふさが奉公先の家の厨房で、流しで洗い水と一緒に流されてしまう飯粒一つを無駄にせず拾い集めて洗い、天日干しにして乾し飯にして食べられるようにしたという話です。「その心懸けに感激の至り」と書かれています。米粒、飯粒を大事にするということは私達の小さい頃の日本の家庭では当たり前のことでした。茶碗のご飯は一粒も残さず食べる、こぼしたご飯も拾って食べていました。その癖が教員時代の給食の時間にも出てしまい、生徒に「きたないやんか」と指摘されたことも度々のことでした。たしかに衛生的ではありませんが、ついた埃や汚れを取れば食べられるという感覚でした。ボーイスカウトの野営で培った感覚でもあったように思います。その習性は65歳になった今も変わりません。むしろ、日々、大量の食べ残しを捨てている今の日本の姿に嘆息しています。「もったいない」の気持ちを一粒の米、飯粒から見直したいものです。
写真は上三草の武家屋敷群の風景です。