ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

「孝女ふさ」⑨-戦前の兵庫県地理郷土書から

 引き続き、「孝女ふさ」について紹介をします。ふさの孝行は江戸の領主のもとに届きました。その表彰の場面やその後のことが詳しく書かれています。

(9)孝子旌表(せいひょう)せらる
 養父の病大に漸(すす)むや、ふさ女に向かって曰く、「家貧しくして、幼より人の下仕えとなしぬるを、恨む色なきのにならず。主もてる心にまかせぬなかにて末頼みなき我々を懇(ねんごろ)にいたわりぬる志の程、今更禮いうべき言葉もなし、なれども物皆むくいあれば行末必幸い多からん」と。感謝の辞、読むだに暗涙を催す。父の意天に通ぜしか、神此の子の孝に感ぜしか、養父逝いて後七年、寛政二年、報果たして到る。三草の郡奉行雄城紋右衛門、林直右衛門は、かの御定書に拠って、ふさ女の徳行を記し江戸表に上申し、其の表彰を請うた。領主丹羽氏福は直ちにに之を孝子と認め、賞辞に加うるに黄金拾両を以てした。
 表彰は行われた。ふさ女は召し出された。庄屋に伴われ、式場に入れば郡奉行厳かに褒賞の旨を説いて辞令を交付。孝女は褒状を幾度か押し戴く。
 ふさ女の役所から帰った時、母の悦やいかばかり、ふさ女の感亦如何。悦びの極まるところ母子相擁して、うれし涙にかきくれて相喜べるさま、目のあたり見るが如き心地がする。
 後数日遠近相伝え、隣閭相慶し礼を厚うし、辞を卑しうして「おかきつけを拝みたし」と称し子女を伴い来って、かの辞令の一見を請うもの、日に幾人であるかその数を知らぬ有様。顧みて子を諭す父もあれば、伏して娘を誨える母もある。

 この項には、ふさの養父が病で逝く前の感謝の言葉、そして、ふさの孝行が江戸表の殿様の耳に届き、表彰となった。その表彰のようすや役所から帰ったふさと母親の喜び合う姿、ふさのことを聞きつけ、多くの人が訪れてその孝行を子に教えようとしたこと、などが書かれています。表彰の場面や後日多くの人がふさの徳行を称えて訪れたことなどがありありと目に浮かぶようです。ふさの孝行の場面はいろいろ書かれていますが、表彰やその後のようすを書いてあるものは余り読んだことがありません。この師範学校の教科書、いわば指導書には実際の指導で使えるように詳しい話が書かれていました。ふさ女がぐっと近くなったように思います。