ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

「昭和中学修身書」に聖徳記念絵画館の絵が掲載されていました

 

 先月8日に上京した折り、明治神宮外苑の聖徳記念絵画館を訪れ、絵画を鑑賞しました。絵の中には、中学校社会科歴史的分野の教科書や資料集に掲載されている有名な絵も少なくありませんでした。

 わが家の書棚にあった戦前の旧制中学校の修身教科書を手にとって見ていると、見覚えのある絵がカラー印刷で掲げられていました。この教科書は、まだ教師をしていた頃、町内の田町通りにあったお好み焼き屋のおじさんからいただいたもので、旧制小野中時代に使っていたという教科書です。

 「新制準拠 昭和中学修身書 巻二」は、17課から成り立っており、各課の題は、國體、皇祖皇宗、天皇、皇室、敬神崇祖と祭祀、國憲國法、臣民、忠君愛国、國民皆兵の精神、家、親子、祖先、夫婦、兄弟と親族、忠孝一致、戊申詔書(一)、戊申詔書(二)になっています。GHQが真っ先に否定したかった内容です。その中に、2枚の絵が綴じられていました。一枚は、「憲法発布観兵式行幸啓」、もう一枚は「岩倉邸行幸」です。

 「憲法発布観兵式行幸啓」の絵は、片多徳郎(かただとくろう)作。明治22年2月11日の大日本帝国憲法発布式の終了後、天皇皇后両陛下が青山練兵場で行われる観兵式に臨席されるために皇居を出発された時の絵です。冬のことで、雪が残っています。

 「岩倉邸行幸」は、北蓮蔵(きたれんぞう)作、明治16年7月19日、咽頭がんで病床にあった岩倉具視を見舞われた明治天皇のお姿を描いたものです。岩倉はその翌日に逝去しました。夏のことで、部屋に置かれた氷柱が描かれています。

 ちなみに行幸天皇陛下が外出されること、行幸啓は天皇皇后両陛下が外出される時に使われる皇室用語です。