ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

加東市赤穂義士祭ー義士の忠義を偲ぶ

 


 14日(木)、赤穂義士討ち入りのこの日、加東市家原の観音寺では、加東市義士祭が行われました。
 寒風が吹いたり、雪が舞う年も多い中、今年は穏やかな天気で、コロナ前とほぼ同じ形で行われました。
 10時30分から本堂で追善法要が営まれ、加東市内の寺院の僧侶による読経、参列者の焼香が行われました。続いて、境内の一角にある義士の墓碑がある菩提所で中央の浅野家当主四代の墓碑に焼香しました。
 焼香を終えると、家原地区の皆さんによる甘酒のお接待を受けました。奉賛会長の澤野祥司会長は、法要の終わりの挨拶の中で、東京品川の泉岳寺と赤穂の花岳寺、そして、加東市の観音寺の3ケ所にしかない四十七義士の墓(墓碑)をもっと多くの人に知ってもらい、訪れてほしいと述べ、そのために駐車場の整備が必要と話していました。
 本堂の横では、社連合区の役員さんらによるくじ引きも行われました。また、午後からは、江戸から赤穂への早駕籠に因んだ駅伝大会(市内中学校)や剣道大会が行われました。
 この日、かわいいこども園の園児たちもお参りをしました。私も社保育園の園児だった時にやはりお参りをしました。もう60数年前のことです。また、昭和40年代半ばの社中学校の生徒だった時には、駅伝大会にも出場しました。当時は、社の市街地がコースになっていたので、母や近所のおばさん達が声援を送ってくれました。また、兵庫教育大学附属中学校の教員だった時には、駅伝チームの引率やコースで応援をしたのも懐かしい思い出です。そして、連合区の役員だった時には、ドラム缶のたき火、くじ引きの係もしました。小さい頃から大人になるまで、この観音寺での義士祭にかかわりを持ってこられたことを懐かしく振り返る日でもありました。