ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和19年-酒の配給量も減る

 昭和19年(1944)、戦局がきびしさを増す中、社町長から区長に対して、酒類の配給量変更の通知が出ています。この通知は社区(現加東市社)の「社町役場ヨリ書類綴」に綴じられているもので、この歴史ブログでも当時の酒の配給等の文書を紹介してきましたが、今日は減量に関する通知を紹介します。戦時といえども、冠婚葬祭等に酒はつきもの。しかし、物資不足の中、配給量は決まっていました。その量もいよいよ減量ということで、長引く戦争と戦局悪化の状況の中で生活もきびしくなっていくようすがうかがえます。

 昭和十九年四月十八日
               社 町 長

各区長殿

 冠婚葬祭用酒(指定酒)配給量変更ノ件

今年度酒類配給量ニ付テハ製造ノ減石ニヨリ各用途共相当減少スルハ止ムヲ得サル處ニテ標記指定酒ニ付テモ従来ノ量ニテハ到底不足ハ免レサル状態ニ有之今回県酒類配給協議会ニ於テ四月ヨリ左記ノ通リ改正本日ヨリ実施相成候条貴部内一般ニ周知セシメラレ度此段及通知候也

       記

婚礼、葬式、入営、応召、       }  清酒(又ハ合成清酒) 壱本   
退営、帰還、法要(満中陰ニ限ル)   }  若クハ 麦酒 五本
                          焼酎 八合