昭和8年-陸軍演習で社町に宿営
昭和8年(1933)の秋、陸軍の第四師団の演習に際して、社町(旧)内各部落で引き受ける宿営人員や注意事項を示した文書があります。
第四師団(大阪)の社町宿営人員は、将校113人,下士兵1523人,計1636人、馬412頭となっています。この大所帯が社町の各部落に分かれて宿泊するのですから、受け入れは大変だっただろうと思われます。
例えば、社には司令部108人、通信隊182人、患者療養班44人、病馬収容班28人、馬117頭が割り当てられています。
演習の受け入れは宿泊だけではなかったようです。次のような注意書があります。
一 松茸山果樹園苗圃等ニシテ立入ラバ損害多大ナル場所ハ藁縄等ニテ立入禁止ノ区域タルコトヲ標示シ且ツ標札等ヲ立ツルコト
ニ、稲ハ収穫ニ妨ケナキ限リ努メテ刈取リ軍隊ノ練成ニ援助与ヘラレ度開闊ニ刈取リ集積ニ就テハ南北ニ便ナル如ク致サレ度
三、古井戸等近接スレハ危険ナル場所等ヲ明示スルコト
四、伝染病患者及同獣疫ノ現在有無及本年度ニ入リテノ有無ヲ町村ハ大字等ノ主要道路入口ニ標示スルコト
また、宿営する兵隊の食事の献立も書いてあります。
十弐日夕食 牛肉スキ焼 汁物 向付 酒壱本一合位
十三日朝食 豆腐汁 向付 干塩物
十三日昼食 スキ焼 汁物 向付 酒壱本
十三日夕食 菓子椀 向付 汁物 酒壱本
十四日朝食 豆腐汁 向付 ニモノ
十四日弁当 適宜ノモノ
となっています。昼食にも酒が一本付いていたんですね。