ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和8年-社小学校が産業教育で調査

 社区長の「雑書綴」(昭和7年~)の中に、昭和8年(1932)に社尋常高等小学校が産業教育の資料とするために、農家戸数や耕作面積などの調査を区長に依頼している文書が綴じられています。
 文書には調査結果の数字が手書きで記入されており、社区(現在の加東市社)の総戸数435戸のうち、農業従事戸数は156戸、約36%となっています。64%も非農家があるのは、社が商業や官公庁の町であったという特徴が表れているということでしょうか。



昭和八年二月十八日
              社尋常高等小学校

 社区長殿

春寒料岣の砌弥〃御多祥の條奉賀候
却設誠に突然乍ら左記御調査願度本校産業教育資料と致し度
御手数恐縮乍ら本月中に御教示被下度御依頼申上候

   左記

社 部落総戸数(四三五) 農業(地主・自・小作)に従事する戸数(一五六)
             農業に関係せざる戸数(二七九)

耕地(田・畑)地積別所有者数

 五町以上所有せる戸数   2
 三町以上・・・      3
 一町以上・・・      13
 五反以上・・・      14
 五反未満・・・      79
                計111

  宅地、山林、原野は含まず
  所有数は一戸を単位とす(名義は数人なりとも一世帯を一として計算す)