ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

加東市新庁舎北駐車場入口に道標復活






 嬉野台地の西端近く、加東市の新庁舎が聳え、その白亜の姿が新緑や青い空にまぶしく映えています。
 その北側の傾斜地に駐車場が整備され、旧372号からも駐車場に入ることができるようになりました。その入口に4本の石柱が建てられています。車で走っていても目につきます。新しい駐車場には似つかわしくない風景ですが、うち2本は道標、2本は村境を示す標柱です。
 この歴史ブログでは、駐車場が整備される以前に市教委の埋蔵文化財室があった頃に敷地のコンクリート壁の前にひっそりと置いてある道標を紹介したことがありました(写真上平成26年1月14日投稿、写真下平成25年1月27日投稿)。その道標が新しく整備された駐車場の入口に復活設置されたわけです。
 かつての道と村境を示す石柱を埋もれさせることなく、歴史を伝える貴重な遺物として新しいまちの施設整備に合わせて設置されたことは本当に素晴らしいと思います。

 石柱は、仏座像の下に「右 老松町 大師道」「左 法華山 姫路道」、「昭和八年五月建立」と刻まれたものが2本。「從是北 木梨村」「從是東 木梨村」と刻まれた村境の標柱が各1本の合計4本です。この辺りは社村と木梨村の境になっていました。
 老松町とは加東市社の市街地の地名で、持寶院大師殿があります。大正時代に加東四国八十八ヶ所霊場巡りが復活し、大師殿はその八十八番仕上げの道場になっています。その巡礼道に立っていたのでしょう。そんな歴史を伝える解説板が設置されればいいとおもうのですが。