
『新町歳時記』には「土葬」が行われていた頃のことが、256頁から13頁にわたって、地区に死者が出たときから葬式の終わりまでの村の役割や段取りが図入りで克明に記録されています。
私自身、40年ほど前だったでしょうか、加西市の親戚の葬式に出た時が土葬の最後の経験でした。村を見下ろす山の途中の墓地まで野辺送りの隊列を組んで行き、穴掘りさんが掘った穴に棺桶を下ろして土を振りかけました。自分の足元を見ると、骨のようなものがあり、狭い場所を掘っているので、前に埋葬した人のものだろうと言われたことをよく憶えています。
土葬が火葬になり、また、葬式(通夜、告別式)が葬祭ホールで行われるようになったことで、葬式における地区や町内会の役割も大きく減りました。私自身、10数年前に町内会長をしていた当時、葬式の段取りを町内の長老から聞き取って文章化して残しましたが、その後2回の葬式があり、そのあとは葬祭ホールで行うようになったためにその役割も終わっています。
今も耳にする「三昧(さんまい)」や「葬斂道(そうれんみち)」などの言葉や、葬祭ホールでも時々見ることがある、出棺の時にお茶碗を割ったり、藁を燃やしたりすることの意味も書かれていて、これまでよく分からないままやってきたことの意味を知ることができました。写真は歳時記に掲載されている墓地の写真です。