
5月9日のブログで紹介した「清水寺誌」(昭和32年発行)には、清水寺の縁起や大正の大火からの再建、赤松氏範討死の話などが掲載されています。
清水寺は西国25番札所として知られ、多くの参拝客が訪れる天台宗の名刹ですが、その縁起について、あらためてこの「清水寺誌」に記されている内容を紹介します。
今、パワースポットが人気をよんでいますが、清水寺は仙人開基の日本最初の観音霊場でありますから、まさに元祖パワースポットといえます。また、その霊験にあやかるべく、日本歴史上、天皇や武将などが堂宇の建立に名を連ねています。
開基は播磨地方の多くの寺の開基で知られる法道仙人、推古天皇の勅願により根本中堂が創建され、聖武天皇の勅により大講堂が建立されたと伝えられています。また、大塔は平清盛の母、祇園女御が清盛出産のときに武運長久を祈願して建立され、常行堂は後白河法皇によって、また、阿弥陀堂は源頼朝によって建立されたと伝えられています。さらに蝦夷征伐で知られる坂上田村麿は毎月参籠し、刀を奉納しています。
法道仙人がチベットから中国、朝鮮を経て日本に飛来し、播州丹波摂津三国の境の峰に住んだのが景行天皇の頃、すなわち1900年ほど前のことです。あるとき、仙人が祈っていると、自然と峰が裂け、土の中から大石が出現して、その石に「南無観世音菩薩」と刻まれていた。仙人は大喜びし、再びこの大石を元通りに埋めて、観音霊験の地とした、ということです。これが日本最初の観音霊場とされる話です。すごいですね。
写真は根本中堂から大塔を望んだものです。昭和10年代のものです。 つづく。